トルクメニスタン:遊牧部族社会に支えられた権威主義体制の資源国


トルクメニスタンは、「中央アジアの北朝鮮」と比喩されてきた国。1991年のソ連消滅により独立をした。それから四半世紀が経過したが、大統領はまだ二人目。人口500万の国だが、国土の大半はカラクム砂漠。ソ連時代、トルクメニスタンはモスクワ中央からみて負担の多い、お荷物の民族共和国に過ぎず、生活レベルも低かった。90年代独立当初、トルクメニスタンは計画経済体制から外れると、物資不足、流通の麻痺などにより経時的に混乱しマイナス成長からの国造りであった。トルクメン共産党幹部会議長のニヤゾフ(1940−2006)が独立国家の初代大統領になった。地元共産党幹部が大統領に就任するという横滑りであった。ニヤゾフは彼自身を「トルクメン・バシュ(トルクメン人の頭領)」と名乗り、独立国家の指導者として活動を開始した。

ソ連時代のこの国は社会主義体制下でモスクワ中央からの指令を、トルクメン共産党幹部が実行するのが建前であった。実際は地元共産党幹部とトルクメン人部族の調整により政治が行われていた。ソ連末期、ゴルバチョフは共産党幹部によるノーメンクラトゥーラ支配への改革と刷新を試みたが、トルクメニスタンでは抵抗もあり人事刷新は全くできなかった。地元共産党と伝統的な部族社会の乗り合いの体制であった。1991年のソ連消滅と新生ロシア連邦誕生でトルクメニスタンを含む中央アジア諸国はロシアの負担軽減もあり切り離されたのであった。現代、プーチン大統領はソ連消滅と中央アジア独立をロシアが行った失敗だと苦々しく思っている。

ニヤゾフ大統領は自らを「トルクメン・バシュ(トルクメン人の頭領)」となのり、伝統的な遊牧部族社会に乗りかかっての国造りであった。外部から見ると、ニヤゾフはメロンを月の名前にするなど馬鹿馬鹿しいと思えるような政策を実施した。彼の政治には部族社会とのコンセンサスがあり、部族の誇りを守っていたから、国民から反対が全く起きることはなかった。海外からみると非常に奇異に見えることから、「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれることもあった。
トルクメニスタンは国を開放し、海外からの投資を導入して発展するという方法をとらなかった。海外との人的な交流を制限しながら国民を豊かにする手法をとった。それができたのは世界4位といわれる天然ガスの埋蔵量のおかげであった。90年代、天然ガスはモスクワ経由のパイプラインで輸出されていた。そのパイプラインはソ連時代には保守管理に十分ではなく老朽化し輸出量が低下していた。

ロシアは輸出価格を一方的に決定し、格安な値段が設定されていた。ニヤゾフはエリチンやプーチンとの交渉により、トルクメニスタンに有利になるような価格交渉を展開した。ロシア側は旧ソ連のトルクメニスタンがロシアから離れていくことを阻止したかったら価格の値上げを承諾したのであった。世界のガス価格からすると、安すぎたのも事実であった。トルクメニスタンは天然ガスの輸出による収入での国造りを続けた。その発想は天然ガスだけのソ連のモノカルチャー経済構造と同じであった。サウジアラビアなど湾岸諸国が石油輸出にたよるという「レンティア国家」と似たような国家体制である。

1995年12月、国連総会でトルクメニスタンの「永世中立国」が承認された。これはロシアから影響を受けることを回避したものでもあった。2006年、ニヤゾフが急逝した。ベルディムハメドフ(1957年生)が大統領代行に就任した。彼は歯科医で全く無名な人物であったことから、いろいろな噂が流れたが全く裏が取れていない。2007年に彼が第2代大統領に就任した。政治手腕のない彼が大統領になれたのも有力な部族の長老立ちに認められていたからである。いまの日本人にはこのような部族社会が国家を動かす大きなアクターだとは想像もできないであろう。

2000年代、天然ガスの需要はのびていた。トルクメニスタンにとって追い風となったのは中国に輸出できるガス・パイプラインの完成であった。トルクメニスタンからウズベキスタン、カザフスタンを経由して中国西北部に通じるパイプラインは、トルクメニスタンにとっては新たな収入源となった。ロシアを経由しないパイプラインは、トルクメニスタンのエネルギー安全保障上で重要であり、中国での天然ガス需要の伸びはトルクメニスタンにとっても都合が良かった。いまや中央アジアの最貧国のひとつと言われていたトルクメニスタンは、一人あたりのGPDは7,600ドルになっている。90年代は1200ドルであったのに比べると大きく伸びている。

この7,600ドルの数字は、日本から見ると非常に貧しいレベルと思われるだろう。しかし、格安価格の広いマンションを国家が国民に提供し、日用の食料品の低価格設定、教育や医療の無償化など国民が普通に生活するには困らない。西側社会のようの言論の自由もない社会だが人々が生活に困ることはない。トルクメニスタンは国家の発展と国民生活の向上のため、外国に対して門戸を開くという政策をとっていない。門戸を開けば、西側企業が進出しトルクメン人が活躍できる余地はなくなると大統領は信じている。欧米からは、トルクメニスタンは閉鎖社会で大統領の権威主義体制で非民主的な国とうつっている。ソ連の社会主義体制は失敗したが、人口500万で世界4位の天然ガス埋蔵量の資源国なら反グローバリズムで体制を維持できると信じている。ソ連時代には社会主義が機能しなかったが、21世紀になって社会主義国家が実現したかのようである。

トルコ、ロシアなどに留学生を派遣しているが、若い学生が派遣されている国は限られている。グローバルな動きに対応できる人材は全く育っていない。国と閉ざして生活できるのは天然ガス収入がまだまだ続くという前提があるからだ。湾岸産油国のサウジアラビアでさえ石油収入だけでは国民を養えなくなり、産業の多角化を推進している。しかし、うまくはいっていない。トルクメニスタンも現在のような天然ガス収入だけの国ならばサウジアラビアの轍を踏むかもしれない。

国家が何でも提供してくれるため、表面的には豊かな国に見えるが、ソ連時代のように公務員、警官の間で賄賂や汚職が横行している。社会主義体制の国家運営は、いずれ破綻することはソ連により証明済みだが、天然ガスの安定的な収入があるかぎりは石油産油国の湾岸諸国のように矛盾がありながらもまだまだ続くのであろう。


松長昭
松長昭


現代イスラム研究センター理事 慶應義塾大学大学院博士課程修了。文学博士。在トルコ日本大使館専門調査員、東京大学教養学部非常勤講師、笹川平和財団中東イスラム基金副室長などを経て現職。 専門はトルコ現代政治史と中央アジア・コーカサス地域研究。とくにユーラシア大陸に広がるトルコ系諸民族の歴史を研究。国際交流に貢献したとして聖マウリツィオ・聖ラザロ騎士団騎士勲章(カヴァリエーレ)を受賞。主な著作は『在日タタール人』、『アゼルバイジャン語文法入門』、『近代日本とトルコ世界』、『日中戦争とイスラーム』。

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