憲法記念日に90条を考える


1.会計報告:良い仕事しましたと報告する

って功績をる。会計という漢字に込められた意味はそんな意味でした。会計をして初めて、他人の成果を利用することができます。良い仕事であれば継続して仕事を任せます。悪い仕事であったらならば、その人に仕事を任せるのはやめ、新たに仕事のできる人を探すことになります。

店先に並べられた商品を購入する場合に、お金を払うことを「会計」するとも言います。買い手は、品物を手にとって吟味して購入するか、しないかを決めることができます。「見せてください」と言って商品を見せてもらって、気に入らなければ、「買いません」と言って品物を返すことになります。品物を返された売り手は、買い手を咎めることはありません。売る気満々で商品を並べていた売り手はガッカリはしますが、次は買ってもらえるように創意工夫を始めます。買ってもらう商品が評価されるからこそ、買ってもらえなかったという結果にも価値があります。

会計責任は、「説明する責任」とされます。もう少し緻密な説明となると「自己の行為の正当性を説明する責任」となります。将来の行為を約束したのであれば、約束の結果を説明することになります。株式会社の経営者は、「利益を獲得して配当します」と約束をして資本を株主から預かります。約束通り、利益を獲得しそして配当をしたことを、株主に財務諸表を示して説明します。利益は、収益から費用をマイナスして求められます。あるいは、約束した期間が始まった時の純資産と、約束した期間が終了した時点の純資産の増えた分として把握されます。儲けなしに配当をすることは、返すことを約束して調達した資金を原資にしていたことになります。約束を守る経営者ではありません。株主が配当の多寡だけで経営者を判断できないと感じ始めるのは、1930年あたりでした 。

そして、「儲けます」という約束を守ったうえで「配当します」という約束を守っていることを説明するために会計報告が作成され、公認会計士が監査をすることでその信頼性を担保するようになりました。財務諸表は、経営者が「良い仕事をした」か、否かを株主に伝えます。

2、会計責任:消されました

憲法に主権在民を掲げるに我が国では、主権者が代表者に仕事を任せます。自由民権運動が盛り上がり、1874(明治7)年に民撰議院設立建白書が、左院に提出されます。税を払う者が、政府の仕事を知り、その仕事を政府に任せるべきか、任せるべきでないかを判断する場所として民撰議院を設立すべきだとします。人々は、権力の専横を制限するための憲法の制定、議会の開催を求め、言論や集会の自由を保障することを求めます。

自由民権運動に抗えなくなった政府は、伊藤博文(1841-1909)等をヨーロッパに派遣し、憲法の調査をさせます。伊藤は、1882年(明治15)年3月14日に日本を出発し、5月2日にナポリに到着、その16日にドイツがプロイセンと呼ばれた頃のベルリンに入り、グナイスト(Rodolf von Gneist 1816-1895)やモッセ(Albert Mosses1846-1025)に憲法草案作成の助言を求めます。

グナイストが伊藤等に教えた内容は、大正デモクラシーを先導した吉野作造が、1921(大正10)年に発見した西哲物語 からうかがうことができます。グナイストは外交・兵制・経済の三つの事項については議会に口を挟ませるべきではないと伊藤博文を指導しました 。グナイストが、会計が君主でさえも議会の議決に従わせる力を持っていることを知っていたことがうかがえます。

1850年に欽定公布されたプロイセン憲法の第104条には、「会計検査院が国の決算を確定した後で、両院に政府ノ責任解除ヲ受ケルタメに提出する」としています。内閣の会計責任を、その会計報告により議会が責任を解除するのです。政府の決算の説明に議会が承諾できなければ、内閣や担当する大臣の不信任につながります。決算を承諾することで、稚拙な予算執行を防ぐことが期待されます。

グナイストは、大日本帝国憲法ではこの条文を「削ル可シ」とします。伊藤博文は、これに従いプロイセンの憲法第104条をコピぺした大日本帝国憲法第72条の条文から「政府ノ責任解除ヲ受ケルタメ」の決算を審議する目的を削除しました 。
伊藤博文が『帝国憲法義解』を著します。大日本帝国憲法の解説書です。会計検査院の検査には期前検査と期後検査の二つがあること、会計検査院の検査が出納官の責任の解除をするにとどまることを解説するだけです。手本としたプロイセン憲法にあった内閣の会計責任には一切ふれません。伊藤博文は、1885(明治18)年に日本最初の総理大臣となります。第二次伊藤内閣の1893(明治26)年10月26日には、政府は決算を議会に報告をするに過ぎない、決算に議会の承諾は必要ないと閣議決定します 。

国会における決算の審議は、国民から徴収した税を使う内閣あるいは担当大臣を、決算という結果により評価する機会です。伊藤博文はグナイストの教えをよく守り、議員が財政について口を挟む機会を無くしました。会計責任は消されました。

3.復活すべき会計責任

専制制に終止符を打つフランス革命の最中であった1791年の国民議会で代議士のラヴィは、「われわれが革命をなしたのは、ただ租税の支配者になるためだけだった 。」と言明します。およそ100年後、「板垣死すとも、自由は死せず」と発した板垣は欧州に外遊します。板垣はフランスの普通選挙の実情を目撃し、岩倉使節団が報告した「政治家の買わんと欲するところの関心は、必ず多数の愚者にあり 」を再確認する事になります。

議員が良い仕事をしたことを主権者に説明することができなければ、フランスの民主制であっても、日本の民主制であっても、主権者は合理的な判断を再選を求める議員に与えることはできません。利益を伝える会計報告が提供されなければ、株主が経営者を判断する基準は配当の額になります。同じ様に主権者も、代表者が主権者の合理的な判断のための会計報告の提供をしなければ、代表者が提供する福祉の多寡で代表者の再任の検討をします。

戦争に負けた日本で、1947(昭和22)年5月3日に大日本帝国憲法に代わって日本国憲法が施行されます。伊藤博文が弥栄に腐心した天皇の主権は国民に移ります。主権者は、権力を委ねる議員を選ぶことができるようになりました。公務員を罷免する権利も15条で保障されました。しかし、権力を委ねた議員、その中から選ばれた内閣が、まともな仕事をしたのか、しなかったのが分からなければ、再任をすべきなのか、あるいは新人の未知の可能性を選択すべきなのかは判断できません。会計情報が必要となります。

伊藤博文が抹殺した会計責任が復活すべきは、この時でした。「政府ノ責任解除ヲ受ケルタメ」の決算を審議する目的を大日本帝国憲法第72条に相当する日本国憲法第90条に取り戻すのです。ところが、新憲法では、文語であった表現を口語化しただけ終わりました。連合国軍最高司令官総司令部や新しい憲法の起草に係わった人に「会計」に適材適所を実現する機能のあることを知る人はいませんでした。新憲法制定当時、内閣法制局次長であった佐藤達夫は、「どっちでもいいようなことは、明治憲法の形をそのまま」で、「ほとんど御議論なしに確定してしまった 」とその時の模様を伝えています。

会計の果たす役割は、「どっちでもいいようなこと」ではありません。それを知らなかったのか、軽視したのかはともかく、担税に承諾を与える機会のない子供達にツケがまわっています。子供達の租税をコントロールする機会を奪っています。民主主義の基本が蔑ろにされています。憲法の改正を考えるのであれば真っ先に検討すべき課題です。

宣戦布告は、個人の名前ではなく、権力者の名でおこなわれます。主権者が選ぶべきなのは、争いを招く権力者ではなく、争いを回避する事ができる権力者です。憲法に加えるべき条項があるとすれば、9条ではなく、90条に会計責任を復活させることです。


吉田寛
吉田寛

千葉商科大学院大学教授
公会計研究所代表、自由経済研究所代表、1999年より、主に「子供にツケをまわさない!」をテーマに講座を開催。難しい話を簡単に、分かりやすく解説することで定評がある。「なぜ、子供にツケをまわしてはいけないのか」「どうすれば子供にツケをまわさないですむのか」、忘れてはいけない肝心要のポイントを語る。

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