自由民権運動の壮士たち・第3回 江原素六(静岡県・東京都) 東大合格者100名の名門麻布高校を創立した男( 後篇 )


【出典】麻布高校・中学内にある江原素六の銅像 麻布学園提供

地元の農民たちの熱い支持を得て衆議院議員に

自らが設立し校長も務めていた沼津中学校を、キリスト教や自由民権運動と出会う事の出来る自由の気風の場とし、自身も自由民権運動に参加していった江原素六(えばら そろく)。しかし、お茶のアメリカへの輸出事業の経営悪化などをめぐって疲労を深めていた江原は体調を崩し、沼津中学校の校長も辞めて病に臥せるようになってしまいました。そうした中で江原を支えたのはキリスト教への信仰でした。以後自由民権運動が沈滞していく数年間、江原はキリスト教の伝道活動と愛鷹山(あしたかやま)のすそ野の土地の民有引き戻し運動に専念していきます。

そして国会開設を間近に迎える時期になると、いったん沈滞していた自由民権運動は、大同団結運動【自由民権運動のバラバラになっていた各グループが一つになって、初めての衆議院選挙に臨もうした運動】として復活しました。体調を回復させた江原も、この運動のリーダーであった後藤象二郎【ごとうしょうじろう:大同団結運動を提唱し、後に商務大臣などを務める】を沼津に招いて大会を開くなど、再び運動に参加します。
そして迎えた第1回の衆議院選挙。ところが、清貧な生活を送ってきた江原に対して、直接国税15円以上を納めるという、選挙に出るための条件が壁となって立ちはだかりました。そこで、江原を支持する地元の農民たちは、自分たちの土地を江原に提供して、選挙に出るための条件をクリアさせます。このような地元の農民たちの熱い支持に支えられた江原は、衆議院議員に見事に当選して上京します。

麻布中学を創立して亡くなるまで校長を務める

【出典】現在の麻布高校・中学の様子 麻布学園提供

衆議院議員となって上京した江原は、カナダ・メソジスト教会のミッション・スクールである東洋英和学校の経営再建を期待されて校長となります。当時、こうしたミッション・スクールはキリスト教を教える各種学校とされて、上級学校への進学が認められていませんでした。そのため生徒数の確保が難しく、経営難におちいっていたのです。そこで江原は、学校の敷地の中に普通教育を行う中学部を創り、それを基に麻布中学校を創立します。そして、第一高等学校(現在の東大教養学部)の校長に働きかけて生徒の受験資格を手に入れるなどして、進学者の数を増やし、学校の地位向上と経営再建に努めました。

ところが数年後に明治政府は、中学校での宗教教育を禁止する通達を出します。そして、この通達に従わなければ、上級学校への進学や徴兵が猶予されるといった特典が受けられなくなるという事態に、ミッション・スクールは追い込まれます。江原は、同志社・青山・立教・明治学院といった学校と共に、通達を撤廃する運動に取り組みますが上手くいかず、カナダ・メソジスト教会は東洋英和学校の廃校を決定。これに対して江原は、教会との関係を断って、麻布中学を独立させる事を決心し、現在の麻布高校・中学がある場所に校舎を移転させたのでした。

キリスト教の信仰に基づく教育活動と自由民権運動の体験に基づく政治活動を続ける

この頃の江原は東京に家を構えず、学校の寮で生徒と共に寝起きして一緒に近所の銭湯に通うという、まさに生徒たちと裸の付き合いをしていたと言われています。そして、江原は亡くなるまでの27年間、この麻布中学の校長を務めました。江原の自由主義的な精神は、校則がほとんど無いという現在の麻布高校・中学の、自主・自立の校風にしっかりと受け継がれているようです。ちなみに、今回取材のため麻布高校・中学を初めて訪れた、田舎の公立高校出身の筆者も、そのあまりにも自由な雰囲気に驚きを感じさせられました。

【出典】渡米する江原と見送る人々 筆者撮影

また国会議員としての江原は、自由党、憲政党、立憲政友会といった政党に所属。初期は軍事問題、途中からは教育問題を専門にして議員活動を続けて行きました。その間、「大学などの高等教育における思想の自由」「学校における信教の自由」など自由主義的な党の教育方針をまとめて発表します。また、いわゆる大正デモクラシーの時期には、憲政擁護を求める静岡での県民大会に参加するといった活動も行ないました。
そして、アメリカで日系移民に対する排斥運動が起こった時には、江原は4か月間に渡って渡米。全米各地で演説や交渉を行なって、日米の相互理解を図るよう努力しました。江原が渡米する際に見送りのために多くの国民が集まっている写真からは、彼が大衆的な人気があった事がうかがえます。

このように江原は、キリスト教の信仰に基づく教育活動と、自由民権運動の体験に基づく政治活動を、沼津と東京を拠点にして、半生をかけて行なったのでした。そして江原は、沼津の農村に構えた家を本宅として、正月は必ずこの家で迎えたと言われています。その江原の家の跡地には現在、江原素六記念館(沼津市明治史料館)が置かれています。その記念館を訪れて、館内に保存されている旧宅の中をのぞいてみると、そこには江原が渡米した際に日系移民から贈られたという、初代アメリカ大統領ジョージ・ワシントンの肖像画が掲げられていました。質素な家の中に掲げられたその肖像画から、江原が一生胸に抱いていたチャレンジと自由を求める精神を、強く感じさせられた次第です。

【出典】江原宅にあった初代アメリカ大統領ワシントンの肖像 筆者撮影


中村英一
中村英一


自由な社会を目指して、現代日本での自由民権運動を志す自由民権現代研究会 事務局長。2012年に静岡県で行われた「浜岡原発再稼働の是非を問う県民投票の実施を求める直接請求活動」という、県民の政治への直接参加を求めた県民大衆運動の事務局次長として、17万余の静岡県民の署名を集めることに貢献。民主主義の進化を求めて、浜岡原発の再稼働の是非を問う県民投票の実現を目指す、原発県民投票静岡2020代表。より良い国民投票の実現を目指す、国民投票静岡代表を務める。中央大学法学部卒業。

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