<第2回>「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー-(その1)


【出典】フリー素材ぱくたそ

今回からインターネットの歴史を作ってきた企業のこれまでの歴史と現状について見ていくこととします。

1回目に選んだのがマイクロソフトです。マイクロソフトがWindowsというOSを世の中に普及させたことによって、一般大衆がPCという名称でコンピューターを所有することになったことがインターネットの歴史の中での大きなエポックメイキングとなったことに異論はないと思います。

もちろん、”Wintel” と当時セットで言われていたインテルも、PCという概念そのものを構想したアップルも、PCの普及に大きな貢献をしたことに間違いはないのですが、自らは(当時は)PCを製造せずにOSに特化し、そのOSがほとんどのPCメーカーに搭載され、PC操作の標準化、アプリの互換性、つまりいわゆる「グローバルスタンダード」として早期にPC+Windows OSというインフラ=「プラットフォーム」を全世界に構築した、マイクロソフト、そしてビル・ゲイツの慧眼を改めて人々は評価すべきだと思います。イメージとしてはマイクロソフトは「終わった会社、終わったIT企業」というイメージがありますが、まずは過去の功績を正しく評価することが必要ですし、このことが最近のマイクロソフトが「まだ終わっていない」原因を読み解くことに繋がるのです(次回、次々回で記述)。

1990年代から2000年代初期にかけての時代、OSと言えば、独自の道を行っていたアップルを除けばWindows の一択という状態であったわけで、PCメーカーもアプリの開発者も、皆どのOSにするのか?という心配をせずに、Windows というプラットフォームの上で安心して自らのプロダクト開発・普及に専心すれば良かったという業界環境の素晴らしさ、そして特異さは、後で振り返ってみるとかなり興味深いものがあります。VTR、CD、レーザーディスク、家庭用ゲーム機・・・電気製品の規格争いというものはいつでも熾烈で、勝者と敗者を生んだだけではなく、はやる消費者への購買意欲への妨げとなり、進歩のスピードを遅らせてきました。

インターネットという、「繋がる」ことがその本質の一つである世界では、スピードを考えれば規格自体は単一であることが望ましいということになります。インターネットが始まった1960年代以降の初期段階では軍事目的、学術目的での利用、そして開発であったため、比較的スムーズ、短期間にプロトコールを始めとする規格統一が行われていきました。商用活用がインターネット発展のドライバーとなっても、初期の段階、OSにおけるWindows の“Winner takes all.” 状態は、むしろインターネットの発展という意味では好ましかったのではないでしょうか。インターネット空間は、共通のプラットフォームであるWindows が搭載されたPCによってオープンに容易に繋がれるようになったのです

Windows がグローバルスタンダードとなっていたことは、インターネットビジネスの本質の一つである「プラットフォーム」というものの存在、旨味を業界の人々に知らしめたという効用もあったように思います。プラットフォームさえ獲ってしまえば、それの上で様々なビジネスのチャンスが生ずること・・・、そうした考えは、一般スタートアップ企業においてのスケール(利用者増などの「量」)とマネタイズ(利益という「質」)という永遠の課題において、「まずはスケールすれば何とかなる」という信仰にも似た確信に繋がっているように思います。この連載でも後ほど出てきますが、あのグーグルにしてもまだ広告ビジネスを行っていなかった設立当初、検索エンジンの高度化に全てを捧げていた段階で、利用者の爆発的な拡大がどのような形で利益に繋がっていたのかを明確に構想していたのかは疑問です。

プラットフォーマーは通常プラットフォーマーになって後、プラットフォーマー「である」ことによって利益を挙げていくわけですが(マイクロソフトの場合は、「である」利益=OSの新バージョンの販売料)だけでなく、プラットフォーマーになる過程つまり、スケールしていく過程でも、新規に購入されるPCのメーカーから莫大な利用料が入ってきました。その利益でofficeの開発を進めていき、officeと実質セットになっていることによって、プラットフォーマーとしての地位を盤石なものにしていきました。

ところでWindows がOSとして一択状態を続けられたのは、①GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)・マウスといった一般大衆でも使いこなせる操作性、②officeの使い勝手の良さ、も理由です。前者がなければ、こんなにも人々が皆PCを使うようにはならなかったと思いますし、後者についてはグーグル等の他の会社がoffice類似の商品を出し、しかも無料で使えるとしても、やはりWord、Excel、Power Point、のシェアは圧倒的です。先にスタンダードを取ってしまったからという面ももちろんありますが、使い勝手の良さがなければ即浮気されてしまいます。officeは、事務職員の事務仕事の実際の内容を突き詰めて考え、それを効率的に仕上げることに成功しました。

自社開発、発明という点では、マイクロソフトはアップルなどに比べかなり少なく、開発者と言うよりも「普及者」というイメージが付きまといます。パナソニックが前社名から「マネシタ電器」と言われたのと似ている気がします。ある意味、不名誉な感じもしますが、インターネットが世の中でメジャーになっている現在のような時代では、むしろ開発者よりも普及者の方がリスペクトされる面があるのではないでしょうか。それはこのオープンな空間では、たくさんの人が「使う」ことに多大な価値があるからです。顧客や市場のニーズから遊離した開発者の自己陶酔的な機能性に拘って沈没してきた日本メーカーのダメさの真反対です。

因みに筆者がコンピューターというものに触れたのは、高校時代の「コマンドを打込んで操作する」計算機のようなものが最初であり、大学ではFORTRANという言語を使い大学のコンピューターで「コマンド作成のマネゴト」をした程度でした。コンピューターが非常に重要となるという確信はあったものの、結局80年代は最初の会社でIBMコンピューターをBASICで動かすといった環境の中、忙しさにかまけてコンピューター、プログラミングというものは憧れの存在でしかなかったわけです。1981年に、金融関係の研修でニューヨークに半年在住することが出来、「Macは面白いよ」と職場での師匠に言われて、憧れはさらに募ったものの、実際に自分のPCを手に入れたのは90年代に入ってからでした。確かあれは富士通のPCだったと思いますが、GUI・マウスの使い勝手の良さに驚き、それ以降一時MacのPCと二重生活を送ったことはありましたが、基本的にPCに関してはWindows 一筋の生活を送っています。プログラマーでもない一般のビジネスパーソンとしては、コマンドを打込むといった難題(一字でも違うと動いてくれない・・・あたりまえですが個人的に苦手な作業です)を知っているだけに、GUI・マウスの発明者(マウスの発明者はダグラス・エンゲルバートと言われています)、PCとして開発・発売したアップル(開発はスティーブ・ウォズニアック)、そして何よりも普及者であるマイクロソフトの功績は讃えても讃えきれない気がするのです。

第3回では、引き続きマイクロソフトを取り上げますが、ビル・ゲイツが第一線を退き、Windows 王国にも陰りが見えてきた2000年代半ばから、最近の変貌について書いていきます。


小寺 昇二
小寺 昇二

埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授
2014年より埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授。授業担当は「e-ビジネス論」「財務管理論」「スポーツ経営」「地域経営論」「現代経済論」「現代経済史」等。ラグビーチーム一般社団法人横河武蔵野アトラスターズ監事、埼玉県深谷市総合計画策定審議会委員。NPO法人日本公共利益研究所コンサルタント。

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