【特別企画】UrbanFolks流、サッカーワールドカップ観戦ガイド(その4)


「大迫、半端ない」(瀧川二高サッカー部主将の中西さんの言葉)

がマジックワードになるほど、日本代表の勝利で盛り上がりを見せ始めたサッカー・ワールドカップ。
今回は選手のバックグランドに着目し、ワールドカップに触れてもらうガイド4回目。

内戦、移民・・・・・今回は代表選手のライフストーリーを見ていきます。

日本のサッカー選手でいうと、西村のライバル(笑)の本田圭佑選手はおじいさんが熊本からやってきた方で、本田という名前は熊本に多いこともあり、少しばかり九州男児的な感じを醸し出しているところもあったりします。岡崎選手はお兄さんとの関係、武藤選手もおじいさんとの関係、原口選手はお父様とのPDCA物語などは知られたところです。

しかし、世界はもっと驚愕のライフストーリーがあります。
ベルギー代表選手のライフストーリーを見ていきます。

ヤヌザイさんからみた国際社会

【出典】ヤヌザイ、筆者撮影

ベルギー代表は移民の2世、3世が多いチームですが、アドナン・ヤヌザイ(Adnan Januzaj)さんは特別です。

Jが苗字の最後につくへんちくりんな名前の表記(失礼)が示すように少しかわった経歴です。家族がコソボのアルバニア人なのです。

コソボ紛争とは、

1989年:アルバニア系住民とセルビア系住民の対立が深まる中,セルビアはコソボの自治権を大幅に縮小
1990年:アルバニア系住民が「コソボ共和国」の樹立とセルビアからの独立を宣言。セルビアは自治州議会及び政府の機能停止,直接統治へ。アルバニア系住民は武装組織「コソボ解放軍」(KLA)を組織化,武力闘争開始。
1999年2月:フランスのランブイエにて国際社会の仲介で和平交渉が開始、しかし、セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂。同年3月末,NATOは,コソボにおける人道的危機が深まったとしてコソボを含むセルビア全域の軍事目標及び経済インフラに対し空爆による攻撃。これに対し,セルビアがKLA掃討作戦を強化し,数十万のアルバニア系住民がコソボから流出し難民化。

【出典】外務省HP

といった歴史的な事件がありました。ヤヌザイさんもこの影響を受けています。お父さんがボスニアでの兵役から逃れるために1992年にベルギーに移住してきました。実際、ヤヌザイさんはベルギーで生まれています。ちなみに、ユース時代を過ごしたイングランドでは年代別のイングランド代表に、母国のコソボ代表から招集打診があったそうです。

話を戻して、コソボにおいて、ヤヌザイさん家はセルビア人による迫害を受けていました。アルバニア人の権利を求める民族主義活動家も親族にいます。母方の家族は資産家でしたが、土地を没収されたり大変な経験をしていたみたいです。

そもそもなぜコソボが紛争の舞台になっているかというと

セルビアにとってコソボが聖地、建国の地、栄えたときの中心→そこにオスマントルコが侵略・支配→アルバニア人がやってくる→オスマン帝国終わり→セルビア人とアルバニア人が住む→対立はユーゴスラビア連邦で抑えられていた→連邦崩壊とともに対立が顕在化→激化

という感じです。宗教もキリスト教とイスラム教という違いもあります・・・。

詳しくは、こちらの動画をみてください。

【出典】ヤヌザイ、筆者撮影

話を戻してヤヌザイさん。

日本代表の香川真司選手を差し置いて、マンチェスター・ユナイテッドに所属していた時は当時のモイーズ監督に使われていた選手です。

プレーは少し自分勝手なドリブルが多いですが、素晴らしい選手です。

アフロヘアの巨人フェライニ

【出典】フェライニ、筆者撮影

マルアン・フェライニ=バッキウィ(Marouane Fellaini-Bakkioui)さんはベルギー代表の中盤の要でした。最近は代表でもポジションを失っていますが、強靭な肉体でヘッドが世界レベル。

MFながら、エバートン所属時代は「戦術フェライニ」として活躍。マンチェスターユナイテッドに引き抜かれました。

194センチの身長とアフロヘア

【出典】フェライニ、筆者撮影

その風貌もあって、とても人気のある人です。ブラジル・ワールドカップのときはフェライニのカツラを被ったベルギー人に何人も出くわしました。

このフェライニさんも見た目からわかるように、モロッコ人の両親を持ちます。モロッコは1956年にフランスから独立したのですが、ベルギーにも移民が多いところです。ちなみにブリュッセル郊外のモレンベーク地区(モロッコ系やトルコ系移民の大きなイスラムコミュニティー)は、パリ同時テロの実行犯グループが潜んでいたりして話題になりました。

【出典】フェライニ、筆者撮影

ベルギー代表は外国にルーツをもつ選手が多いです。エースのルカク選手はコンゴ民主共和国にルーツを、アザール選手もアルジュリアにルーツがあると言われています。

ただし、このダイバーシティがあるベルギー代表。移民の話をおいておいても、ベルギー内部において根深い対立を抱えています。一部には独立運動があるのです。

フランドル地方では国家からの分離運動がくすぶっています。そもそも北部のオランダ語圏(フランドル)と南部のフランス語圏(ワロン)の間に、言語や宗教(プロテスタントとカトリック)の違いだけでなく、所得格差があり、北部には南部への補助金への不満があります。

【ベルギーの歴史】
・1830年にオランダから独立
・第2次世界大戦以前、南部のワロンが工業地帯として栄え、この経済力を背景に、当時の憲法はフランス語だけで書かれるなど、人口で40パーセント前後のワロン人が事実上ベルギーを支配
・アントワープなど港湾都市を抱える北部のフランドルが英米系企業の投資で発展
・経済面での逆転を背景に地域間の対立が激化
・1993年:ベルギーは連邦制を導入、各州の自治権を大幅に高める(それぞれ一定の政治的、経済的自治を認めることによって民族共存の途を探った)
・2010年の総選挙で北部の分離独立を訴える「新フランドル同盟」(N-VA)が第一党に躍進、連立ができない事態が1年半、他の六党による連立政権(首班はワロン社会党のエリオ・ディ・ルポ)が成立

人口約1千万のベルギーの約6割がオランダ語を、4割がフランス語を公用語で、オランダ語をしゃべる人は北部に、フランス語をしゃべる人は南部に居住していますが、南北を分けるのはローマ帝国の境界線の外と内の違いとも言われています。過去には代表チーム内が南北で分裂し、選手が仲良くなかったともささやかれていた時期もあります。

今回は民族、移民というところに焦点を当てました。スポーツの国際大会は相手の国や出ている国を知るいい機会かと思います。


西村健
西村健

人材育成コンサルタント、NPO法人日本公共利益研究所(JIPII:ジピー)代表、事業創造大学院大学 国際公共政策研究所 研究員・ディレクター、一般社団法人日本経営協会講師、未来学者。
慶應義塾大学院修了後、アクセンチュア入社。 その後、日本能率協会コンサルティングで経営・業務改革、人材育成、能力開発を支援してきた。独立後、人事評価制度構築・運用、キャリアカウンセリングなどのコンサルタントとして活動中。最近はプレゼンテーション向上、モチベーション施策などに注力。

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