政策シンクタンク論・第2回 東京財団の挑戦とそのインプリケーション


1.はじめに

私が、当時ほとんど存在しなかった日本に民間の非営利独立系のシンクタンクを本気で創りたいと考えるようになったのは、1989年に笹川平和財団に入団し、その設立に向けてのプロジェクトを1991年に本格的に開始してからだ。

同プロジェクトでは、日本国内外におけるシンクタンクについて研究や日本でのその創設の必要性を国内で知らせる広報活動をすると共に、その創設の可能性を探る活動を行った。その間、同プロジェクトは、日英語で関連の何冊かの本を出版し、多くのメディアでも取り上げられ、大規模のイベント等も開催し、国内でもそれなり評価された。だが、同プロジェクトや民間非営利独立系シンクタンクの日本での設立の考えは高い評価を得ても、だれも「では、設立しよう!」といってくれる者はなかなか現れなかった。

2.東京財団の設立

そんな中、1996年後半になると日本財団の上層部から、民間のシンクタンクを創りたいので、そのための活動や作業をしてほしい旨の話をいただいた。それは、それまでの多くの方々の協力を得て、活動を続けてきた成果であったので、それを無にできないと考え、その話を受けて、必死に頑張り、翌年7月1日に政策シンクタンク的機能を有する国際研究奨学財団(現東京財団)を設立することができた。

そこまでのプロセスで感じたのは、日本には民間で非営利活動をしていくのは、たとえその趣旨に賛同を得ても、資金的には非常に厳しい現実だった。
政策シンクタンクが、それなりの活動を行い、社会的にインパクトを持つには、ある程度の資金規模が必要だ。政策シンクタンクについてこれまで研究し運営に関わった筆者自身の経験を踏まえれば、最低年間10億円程度が理想だ(注1)。

だが、社会的に関わる資金(筆者は、これを「パブリック・マネー」と呼ぶ)には、税金、寄付金、政治資金などがあるが、日本では、そのほとんどが税金である。それは何を意味するかというと、社会的な活動は、行政・官僚機構に握られ、社会的な活動は主に行政にコントロールされ、それ以外の異なる社会的な活動を行うことが非常に難しいという日本の現実である。シンクタンクを創る際に、そのことを痛感させられたのである。

日本財団系の資金は、日本では異色で、行政の制約がないわけではないが、民間において独立的な色彩の強い資金であったので、民間非営利独立型のシンクタンクの機能が果たせる上記財団を設立できたのである。

しかも同財団は、独立的に活動が継続できるように、ある程度の規模の基金を有し、その果実を基に運営できるように設計されたのである。

3.東京財団での実験的挑戦

このようにして設立・設計された同財団は、竹中平蔵氏(現東洋大学教授)がシンクタンク部門の中心となり(注2)、活躍した。そこでは、政策研究を行い、さまざまな政策提言を行うと共に、出版、政策番組の放映、世界の政策賢者によるサミットの前哨戦としての「プリサミット」や世界のインターネット・べンチャーの雄を集めた「インターネット国際会議」をはじめとする、大規模かつインパクトのある様々なイベントもぶち上げ、社会的にも存在感を示した。

さらに、同財団の行った活動で特筆すべき、2つの活動がある。

まず、森喜朗政権(当時)を支える「政策タスクフォース(TF)」の設置・運営である。その目的は、東京財団を事務局にして、官邸主導の機動的政策運営を目指して、重要政策項目に対して、同政権に提言するもので、ほぼ週一回のペースで会合を開催し、政権への政策的論議・情報の提供および政策的インプットを行った。またその活動の延長で、「総理官邸(当時)」をジャックする形で、官邸での「(日本)新生政策会議」をはじめとする官邸内外で様々なイベント等を行い、政権に政策的インプットと政策議論をもたらした。このようにして、東京財団は、政策的にある程度の成果と政策形成の新たなダイナミズムを生みだすのに成功できたのである。

2つ目が、日本における民間の政策人材から構成されたグループ「インテレクチュアル・キャビネット(Intellectual Cabinet、知の内閣)」の組成とそのグループのニュースレターでの発信である。その発信は、政行財学の方々等に配布され、政界や官界でも政策論議を喚起するものにとして高い評価を得た。

だが、同グループの最も重要な部分は、その発信以上に、その構成メンバー自身である。彼らの多くは、その後、様々な形で、政権や政治・行政に関わり、日本の政策形成に大きな影響を与えていったのである。そして、その中でも特に特筆すべきは、竹中氏が、2001年4月に成立した小泉純一郎政権に、大臣として参画することになったことである。その後の竹中氏の活躍(注3)は、その評価は分かれるところだが、小泉政権かつ社会的にインパクトある役割を果たしたのは、読者の方々のご存知のとおりだ。

そのことは、東京財団で、政策代替案をつくり、それをひっさげ政権に入るという、

シンクタンクの本場米国ワシントンで起きるようなことを、日本でも遂に実現できたということである。

4.東京財団の経験からのインプリケーション

以上に記した東京財団での筆者の経験からいえることは、行政による政策形成が中心で、それ以外からの政策インプットが難しい日本においても、独立的なある程度の規模の組織ができ、それを活用できる人財を集積することができるならば、民間非営利独立型のシンクタンクを創り、運営することができるということであろう。

(注1) 政策シンクタンクは、独立資金が重要だが、それだけでうまく運営できるわけ
ではない。他に、企画力や人的ネットワーク、政策形成過程を熟知した人財も必要だ。
(注2) 筆者は、政策シンクタンクを設立出来たら、竹中氏にその中心になってもらう
ことを念頭においていた。
(注3)竹中氏の大臣就任後も、東京財団は当初は政策的なサポートをしていたが、
その後、筆者が同財団を離れることになり、それが難しくなる。


鈴木崇弘
鈴木崇弘


城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科教授および「教育新聞」特任解説委員。宇都宮市生。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センター奨学生として同センターおよびハワイ大学大学院などに留学。東京財団の設立に関わり同財団研究事業部長、大阪大学特任教授・フロンティア研究機構副機構長、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり同機関理事・事務局長、法政大学大学院兼任講師、中央大学大学院公共政策研究科客員教授、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)事務局長付、厚生労働省総合政策参与などを経て現職。91年―93年まで 米アーバン・インスティテュート兼任研究員。PHP総研主席研究員、日本政策学校代表、Yahoo!ニュースのオーサーなども務める。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。主な著書・訳書に『日本に「民主主義」を起業する…自伝的シンクタンク論』(単著)、『学校「裏」サイト対策Q&A』、『世界のシンク・タンク』(共に共編著)、『シチズン・リテラシー』(編著)、『アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法』(監共訳)、『Policy Analysis in Japan』(分担執筆)など。現在の専門および関心分野は、公共政策、民主主義の起業、政策インフラの構築、新たなる社会を創出していける人材の育成さらに教育や統治における新システムの構築。

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