トランプの「知財皇帝」から見た貿易戦争の内幕


(Vishal Amin)

米国の主要輸出品である「知的財産権」と「金融サービス」を巡る戦い

米国の対中向けの関税政策は「知的財産権」を巡る中国の収奪的制度を変更することを意図して実行されている。トランプ大統領が強調する貿易不均衡の問題は単純なモノの収支の問題だけでなく、本来は中国から得られるはずの知財に対するライセンスフィーが払われていないことへの米国の苛立ちが背景にある。

近年、米国の経常収支は、貿易収支で大幅にマイナスを計上しており、サービス収支ではプラスを計上している。米国の主な黒字の輸出品は、航空機、化学品、農産物などであるが、主に工業製品などの輸入額と比べて黒字額があまりに少ない状況となっている。一方、大幅な輸出超過となっている知的財産権、金融サービス、旅行などのサービス分野の商品である。この3つの黒字は非常に大きく、いずれも航空機の輸出よりも大きな黒字額を計上しており、大豆の輸出黒字額の2.5倍以上の黒字額となっている。

地域・国別でみると、EUに対しては所得収支・サービス収支の黒字が貿易収支の赤字を補ってプラスとなっている。日本・中国の場合はサービス収支は黒字であるものの、所得収支は微妙なマイナス・貿易収支は大幅なマイナスとなっている。つまり、EUと中国・日本では米国が抱えている問題は全く異なることが分かる。

米国の課題は最大の貿易赤字国である中国との収支を改善することだが、中国からの輸入を減らすことは既に経済がグローバル化した環境においては至難の作業であることから、中国に向けた輸出を拡大していくしかない。したがって、米国が中国に対して求める貿易赤字の縮小とは、米国が強みを持っている「知的財産権」「金融ビジネス」から利益を得ていくことを意味する。また、当然であるが、雇用増・所得増を実現するためには同分野の産業の輸出を拡大させることが必要となる。(場合によっては新分野であるエネルギーの輸出も含まれる。)

金融ビジネスについては、中国は今年6月に公表した外資金融機関に対する規制・制限項目の一覧表によると、同項目数が2017年の63項目から148項目に減少している。そして、証券、生命保険、商品先物の金融事業は7月から外資の過半出資を認め、21年に出資規制の全廃が約束された。

そのため、米国の輸出増のための主な交渉対象は「知的財産」に関する問題が残されている状況だ。中国はWTOに加盟した後も著しく不公正な知財制度を維持しており、中国からの輸出品の技術レベルが上がり続ける中で、今後更に知財は両国の間での紛争が深刻化している状況がある。トランプ政権が中国に対して関税による制裁を加えている理由も中国の知的財産権の強制移転などの理不尽な制度変更などを求めることを理由としている。

ジョージ・W・ブッシュ政権時代から準備されてきた知的財産権を巡る米中衝突

米国が「知的財産権」を輸出戦略の一環として近年明確に位置付けたのは、2008年の「Prioritizing Resources and Organization for Intellectual Property Act」(PRO-IP法)であり、超党派による法案としてブッシュ政権時代に制定された法律である。同法はIPEC(Intellectual Property Enforcement Coordinator」という米国全体の知財保護・輸出拡大の担当者によって遂行されることになる。IPECは「知財皇帝」と呼ばれるほどに知的財産権に関する分野での力が強く、米国の知的財産権に関連する省庁をまたがる戦略をまとめあげる権限を持つ。

PRO-IP法及びIPECが本格的に機能し始めたのはオバマ政権時代であり、同政権の主な戦略はアジア太平洋地域での知的財産権保護を徹底することになった。オバマ政権が当初冷淡であったTPPに急速に関心を示した背景には、TPPを利用して同加盟国に対して杜撰な知的財産権保護の状況を改めさせる狙いが明確にあった。この戦略は功を奏してベトナムを始めとした模造品大国に一定の知財保護を義務付けることに成功している。

実はトランプ政権にとっても知的財産権保護は政権発足当初から力を入れてきた分野である。トランプ政権は政権発足後に早々にIPECの人選を提示して上院からの承認を取り付けている。トランプ政権のIPECは、Vishal Aminという下院司法委員会のシニア・カウンセルであり、ジョンズ・ホプキンズ大学で神経学・ワシントン大学で法学を学んだ人物である。同氏はジョージ・W・ブッシュ政権にホワイトハウスで国内政策に副責任者として従事している。また、下院司法委員会では、グッドラテ司法委員長を通じてThe Innovation Actという特許改革に関する法案の策定に関与し、著作権法に関する豊富なキャリアを有することで知られている。その実力は同人事をアメリカの録音産業協会、国際知的財産法協会、国際反偽装連合などの業界団体が次々と表明したことで裏付けられている。

つまり、米国の知的財産権保護及び輸出拡大という目標に関しては、共和党大統領時代に作られた法律が元となって本格的に動き出し、その主導権がオバマ政権を経て再び共和党大統領の手に戻ってきたことになる。特にトランプ大統領を支える共和党保守派は中国の知的財産権侵害に関しては以前から関心が高く、常日頃から警鐘を鳴らしてきた経緯がある。

TPPに米国が復帰しない単純な理由は「目標が達成されている」から

トランプ大統領がTPPから撤退した理由は、既にTPP11で十分に知的財産権保護という当初の米国の目的が達成されていることも大きいだろう。たしかに、米国がTPPから撤退したことによって、知的財産権に関する一部項目やISD条項などが凍結することになってしまったが、それでもTPP11加盟国に最低限の知財保護の基準を押し付けただけでも成果としては十分である。

米国はTPPに加盟した場合、日本では農産物の輸入開放などに関して阿鼻叫喚の反対論が巻き起こっていたが、米国にとっては農産物輸出にとってはプラスになるものの、工業製品についてはマイナスとなる予測が行われていた。上記の目標が達成された段階で、米国が知的財産権の固まりである製造業の面から見てマイナスであるTPPに加盟するインセンティブはほとんどないと言って良い。したがって、トランプ大統領のTPPから撤退するという判断は妥当ということになる。

TPPは知財侵害大国である中国に知的財産権制度の見直しを迫るための国際的圧力として機能させることも狙いであるが、それも日本が主導する形で枠組みを維持できるなら米国にとってはそれほど問題はないものと想定される。つまり、米国にとってはTPPには入らずに、日本が知的財産権保護を加盟国に守らせる、という形がベストな体制ということになる。したがって、米国が当面TPPに復帰する可能性は低いものと思われる。

冒頭で見た通り、米国にとっての輸出拡大の主力品目は知的財産権に関するものであり、農産物は選挙的には意味があっても中長期的な雇用増・所得増に直結するものではなく、TPPも同様の観点から考えることが妥当だろう。

トランプ大統領は「なぜ関税を使って交渉する」のか

TPPは中国を国際的な枠組みで包囲してジワジワと締め上げるものであるが、トランプ政権は更に直接的に中国に対して兵糧攻めを実行する戦略を取っている。

上記で見てきたとおり、TPPから抜けて自由度が増したトランプ政権は対中国という観点からTPP11と関税の両方の都合の良いとこ取りをして戦いを挑んでいる。つまり、トランプ政権の方針は、自国の製造業を保持しながら、TPP11で加盟国に知的財産権保護を徹底させた上で、中国に関税を使って収奪的な知財制度の変更を迫る、というやり方である。

関税政策には中間選挙対策として「外に敵を作るやり方」は共和党支持者へのアピールとして有効であり、また安全保障対策として「中国のハイテク産業を潰す」という側面も存在している。そして、特に共和党保守派の場合は、多国間貿易協定によって自国の主権が奪われることへの拒否感が強く、TPPによる対中国政策を前面に押し出すことはイデオロギー的にも受け付け難いということもある。

しかし、更にその背後にはブッシュ・オバマ時代から続く、知的財産権の輸出拡大による雇用増・所得増を目指す米国の貿易政策が存在している。これらの大きな流れを踏まえて、トランプの貿易政策を見なくては対米交渉を間違えることになるだろう。

日本政府は対米交渉に際してどのように行動するべきなのか

トランプ・ユンケル米EU首脳会談は自動車関税の話は棚上げとなり、EU側のエネルギーと農産物の輸入拡大で手打ちが行われた。これは冒頭で確認した通り、米国・EUの収支は貿易収支以外の面で最初から収支全体のバランスが合っていることが大きい。したがって、トランプ大統領が自動車関税を交渉の手札として利用し、上記のような適度なところでお互いに妥協することは必然的なことだった。

対中国に関しては収支を合わせるためには、中国側が「知的財産権」「金融サービス」の面から制度変更を行うことが必要であり、後者は既に一定の成果を得ているため、前者の果実を得るために「巨額の関税」を用いた貿易戦争が行われている最中である。米中どちらかに経済的に急激な腰砕けが発生しない限り、この貿易戦争は中間選挙の結果を受けていずれかが妥協するまで継続することになるだろう。(知財関連の企業買収阻止・制裁・研究者締め出しなどは関税終了後も続く)

日本は米国に対して巨額の貿易黒字を抱えているものの、「知的財産権」「金融サービス」に関する国内制度面から見ても問題がある国ではない。したがって、TPPへの復帰を促すことは表面的なポーズとしては正しいが、現状では米国がTPPに復帰する可能性はないことは明白である。

また、交渉開始段階では既に関税も十分に引き下がっているために米国の黒字化に貢献するための取引するための材料もなく、米国が求めるFTAによる農産物・エネルギーの輸入拡大だけでは米国の貿易赤字を埋める帳尻が合わない。そのため、場合によっては本当に一部の高度な技術を用いた自動車の輸出には制限がかけられる可能性が残っている。そのため、そのような危機的事態が生じることを全力で回避すべく、米国本土への投資(インフラ含む)を促進することによって所得収支を改善することで、米国側の納得を得ていくことが基本的な方向性になるだろう。

 


渡瀬 裕哉
渡瀬 裕哉

パシフィック・アライアンス総研所長
早稲田大学大学院公共経営研究科修了。トランプ大統領当選を世論調査・現地調査などを通じて的中させ、日系・外資系ファンド30社以上にトランプ政権の動向に関するポリティカルアナリシスを提供する国際情勢アナリストとして活躍。ワシントンD.Cで実施される完全非公開・招待制の全米共和党保守派のミーティングである水曜会出席者であり、テキサス州ダラスで行われた数万人規模の保守派集会FREEPACへの日本人唯一の来賓者。著書『トランプの黒幕 共和党保守派の正体』(祥伝社)は、Amazonカテゴリー「アメリカ」1位を獲得。主なメディア出演実績・テレビ朝日「ワイド!スクランブル」、雑誌「プレジデント」「ダイヤモンド」など。

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