政治家とウソ:8/15に考えること


石破茂さんが自民党総裁選に出るそうだ。内閣府の地方創生において彼の指揮の下で地方創生に取り組んだこともあったし、色々関係しているので、安倍さんと同じくらい応援したいところではある。

石破さんは「正直で公正、謙虚で丁寧な政治を作りたい」と訴えた。「正直・公正」というのは、「政府が嘘を言わない政治」を目指すという意味だそう。確かに安倍政権のこれまでの対応を考えると、問題提起としてはしっかりしたものがあると思う。

8月15日に政府とウソについて考えてみたい。

【出典】豊中市のある学校施設、筆者撮影

政治が嘘をつく理由

そもそも権力機関にはウソをつくインセンティブがある。

自分たちのやったことを正当化したい
厳しい批判から逃れたい
責任を回避したい、自分の責任ではないと釈明したい
政権を維持したい
権力を永続化したい

等々。政治は権力闘争なので、自分たちに有利な状況を作るためには、多少のウソをつくことが許されてしまっている現状もある。

多くの国民の肌感覚からして、目的(政権持続)のために手段(多少のウソをつく)をえらばないという行為は問題外である。しかし、利害調整をする過程でお互い有利な状況にもっていくためにウソを言う行為がされていることもあるということも確かだろうし、それを国民が許容してしまっている面もあるのかもしれない。

仮に、ある政策がある。しかも、誰にとっても不人気な政策である。しかし、共同体にとって必要。そういった政策を強いる場合、ウソをついてでも共同体を守るために政策が必要なこともあるのかもしれない。

なかなか難しい。

政治がウソをつくのはご法度

しかし、政府がウソを言わないということは民主主義の基盤であり、信頼のベースになるからとっても大事な価値観である。アメリカでは、嘘をいったかいわないかが厳しく問われ、大統領の弾劾裁判までに至ることもある。クリントン大統領の不倫問題は、クリントン元大統領が不倫したことではなく、ウソをいったかどうかが問われた。それほど大事なことなのである。

民主主義の根幹である政府の「信頼」に関わるからだ。

ウソをつく→国民に許容されない→公正性に疑念が持たれる→政府の正統性が低下

ということになりかねない。

敗戦の日ということ

われわれ日本社会では、過去に政府が途方もないウソを行った過去がある。
敗戦の日ということもあるので、皆さんに恐ろしい映像をみてもらおう。

衝撃の映像だ。アメリカ軍による空襲の恐ろしさが実感できるだろう。
こんな状況なのに

政府は国民に対して「我々は戦争に勝っている」

などと述べていたのだ。戦局が悪化していて、敗戦寸前にもかかわらず・・・。ウソを認め、とっとと敗戦処理をできなかった事情は日本政府の意思決定上り方無かったのかもしれない。しかし、早く認めなかったことでどれだけの方が亡くなったのかと思うのだ。

ウソを言っていた、ウソをつくことを無意識的に強要していた、ウソを言わせたた方々は国民にどう説明したのでしょうか。

ウソを皆が気づいていても、ウソと言えなかったのが73年前。はたして、現代はどうか。

「嘘も100回言えば真実になる」ということを思っているような方には公的な職責を担う資格はあるのだろうか。

多くの先人たちの被害と犠牲の上に我々の生活が成り立っていることを考えながら筆をとることにする。


西村健
西村健

人材育成コンサルタント、NPO法人日本公共利益研究所(JIPII:ジピー)代表、事業創造大学院大学 国際公共政策研究所 研究員・ディレクター、一般社団法人日本経営協会講師、未来学者。
慶應義塾大学院修了後、アクセンチュア入社。 その後、日本能率協会コンサルティングで経営・業務改革、人材育成、能力開発を支援してきた。独立後、人事評価制度構築・運用、キャリアカウンセリングなどのコンサルタントとして活動中。最近はプレゼンテーション向上、モチベーション施策などに注力。

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