Edtechと文理融合教育(4)ーSociety5.0を見据えた社会学者の奮闘記ー


昔語りから始めて大変恐縮だが、小生が初めてコンピュータなるものに触れたのは、早稲田大学に入学した年。そのころはまだ、大型コンピュータの端末にログインする形だった。当時の早稲田では、学部共通科目のような形で、四年を通して段階的に技術習得ができるような形で授業が設定されていたから、文系学部の学生だった私はセンターに足繁く通い、理工キャンパスの機材の方が動作が速いと知るとキャンパスに潜入しては、いろいろなコードを試したものだ。四年の間、BasicやFortran、PL/1、LISP、APL、Cなど、様々な言語に触れ、横文字のエラーメッセージに助けられながら、バグと闘った。その当時話題となった、ローマクラブの「成長の限界」。その分析に用いられたシステムダイナミクスの考え方で作成された図から、ポジティブなループとネガティブなループ、そして外部要因を抽出するために、四万行程度のLISPのプログラムを書いて、付き合いのあった教授のお手伝いをしたこともあった。金のなかった学生時代、大隈奨学金を得たのはまさに「干天の慈雨」で、当時最先端だったNECのPC9821VM2を購入した時は、感激したものだ。(白黒ディスプレイとか、フロッピーディスクとかいっても、今の若い人たちには石器時代の遺物としか思われないだろう。蛇足だが、なりゆきで小生は、卒業時に学部の総代をする羽目になった。)

ロジックの重要性

さて、コンピュータやプログラミングの良いところは、誤解を恐れずざっくりと言ってしまえば一切の「ごまかし」が効かないところである。人間関係や感情のもつれ、権威・権力や派閥・学派、そして教師と生徒の違いなどといった「余計なもの」が入り込む余地がない。もちろん、与えるデータや出力の解釈といったプロセスでは、人間の恣意性が入り込む余地がある。というか、入らないことはあり得ない。しかしながら、システム作成においては、論理矛盾や論理破綻はバグとして厳密にチェックされるし、バグのあるプログラムからは期待された出力結果を得ることはできない。当時は、沢山の命令を覚える必要があり、しかも一文字でもうち間違えれば動かない、ということから、多くの大人たちがパソコンを投げ出したと言われたものだが、私にはそれがむしろありがたかった。なにせ、いろいろな公式をコードにして打ち込めば、入力に応じた答えを自動的に出してくれるのである。小生には、「自動的に」というところよりも、「自分の組み立てたロジックがworkするのかどうか」を、自分で確認できるというところがありがたかった。ということから考えると、当時から小生は、シミュレーションに関心を持っていたことになろうか。

目先にとらわれた教育?

7/31のNHK「おはよう日本」では、edtechの例として、画面上のサルが画面上のバナナを手に入れるための行動の定義を、子供達が行なっているシーンが流された。教材では、進路に方向性を持たせるために、分度器が表示される。それで角度を測って、サルが進むべき方向と距離の組み合わせを考える。見事サルがバナナをゲットできれば、角度と距離が正しかったということになるらしい。このあたり、子供が関心を持ちそうなグラフィックを用い、子供にもわかりやすいように道具を表示させ、コードを打たなくても動作が定義されているブロックを組み合わせて必要な数字を打ち込むだけで、試行錯誤し課題を完成されることができる環境のしつらえは、素晴らしい。しかし、こうした学習の方法論が、目の前の問題の解決だけにとどまり、そこからより深いところ、例えば、「どうして円の全周の角度は360度で表すことになっているのか」という根本的な部分に対する問いを封じてしまうとしたら、それはやはり目先のことに囚われ本質から目を背けた教育になるのではないか、と思ってしまうのである。

統計手法について

AIとロボットが人間の仕事を代替していくことは、ほぼ確実であろう。その時、人間にしかできないことをする基礎になるのは、教養と想像力・創造力と物事の本質的な理解である。文理融合というテーマに関連させて統計学の手法を例に説明しよう。

二値変数と量的変数の因果関係を調べる方法として、ロジスティック回帰分析がある。これは二値変数を目的変数として、説明変数の値が小さいものから順に並べ、一つ一つの説明変数の値に対応する累積度数の割合pと残りのサンプルの割合(1-p)の比(p)/(1-p)の対数log ((p)/(1-p))に換算した上で、この値と説明変数との間での関係を、通常の回帰分析の手法を使って求めているのである。

その、log ((p)/(1-p))という値の元になったのは、回帰分析における二変量正規分布という仮定、すなわち、説明変数のそれぞれの値に対応するケース数をヒストグラム化すれば正規分布に近似できる二項分布になるという仮定に基づいている。文系の学生には、数式を一つ一つ追うことは難しいかもしれないが、グラフと文章を丁寧に読み解いて、モデルの本質を理解すべきで、単にベータの値やpの値、そして決定係数が読めるだけの人に、データの分析を任せるのは危険極まりないと思うのだが。

統計手法については、モデルの無理解以外に、危険率すなわち有意水準と、検定のロジックに関する無理解に関する問題も大きい。人間は神と異なり、過去から未来に渡って、そして世界の隅々まで踏み込んで、母集団に含まれる全てのサンプルのデータを調べ上げることは不可能だ。そのような条件のもとでは、母集団に関する仮説を直接的に検証することは不可能だ。

数学の世界では、このような場合、背理法、すなわち、証明したい仮説(h1)が成立しないという仮説(h2)を立て、仮説(h2)が間違っているということを証明することによって仮説(h1)が正しいということを間接的に明らかにする、という方法を取る。これを統計学の領域に応用したのが、統計的帰謬法と呼ばれるものだ。これは、母集団においては検定対象となっている統計モデルが成立していないという仮定(h2)の元で、無作為抽出によって抽出された標本から検定モデルからの乖離を指標化した統計量の値を計算し、その値よりも大きな、あるいは小さな値が発生する確率が無視できるほど小さな場合には、(h2)を捨てて(h1)を採択する、という意思決定の方法である。

これは、統計モデルの上で考えて、発生する確率があまりにも小さい事象は、発生する危険を承知の上で、発生しないものとみなすという判断方法の応用でもある。しかしながら、統計的検定を道具として使い、データの分析を行って論文を公表している研究者でさえ、統計的帰謬法という概念を正しく理解できていないばかりか、その概念そのものを知らない人が珍しくない。

まあ、右側検定と左側検定の使い分け以前に、片側検定と両側検定の使い分けができない人が当たり前にいる現実、つまり、確率判断以前に「検定の前に入手している情報」を検定による仮設の検証に生かす方法すら理解できない人が放置されていることを考えれば、当たり前なのかもしれないが。

感動こそ、人間にしかできないもの

ロボットの向きを変えるときに、分度器を使って試行錯誤するのは、素晴らしい。しかし、そのことが、なんで円のひと回りは360度なのかという問いを封じ込めてしまうのは、あまりにも惜しい。子供たちが分度器で角度を測るとき、一度という角度が太陽を中心として地球が一日をかけて動く距離に対応しているのだと知れば、「自分がこのロボットを動かすために使っている道具は、地球が太陽の周りをまわっているときに示す規則性をもとに、先人が確立した知恵に基づいているのか!!」と感動を覚える人も少なくないはずだ。

そして、そういう感動こそ、人間にしかできないものであり、その感動をもとにしてこそ、人間にしか生み出せないものを創り出すことができるのではないか。少なくとも、これから先の時代を生きることになる子供たちには、AIやロボットを操るに必要なロジックそのものを学習するだけでなく、そのロジックのもとになった人類の歴史やロマンといったものに触れ、様々な感動とともにいろいろなものを習得して、新しいものを創り上げていく力を身に着けていってもらいたいものである。


天野徹
天野徹

明星大学人文学部人間社会学科教授。
専門は、情報社会学・社会統計学・都市社会学。東京都立大学大学院博士課程単位取得中退。社会学をベースに、文理融合・問題解決の知のあり方を追求してきた。(財)あしたの日本を作る協会の委員として、webサーバーを立て、「地域づくり運動情報データベース」を構築・公開。社会調査の領域に、ハイパーテキストを活用したプレゼンテーション作りや、3Dモデリングによる景観シミュレーションを導入。東日本大震災の後、自ら提唱したコミュニティ・ネットワークの理論をもとに、災害レジリエンスを備えた社会システムと、それを実現するための情報システムを構想。PHP、Java Script、CSSなどを用いて、義援物資マッチングシステムと避難所情報収集システムを構築し、サービスを公開。現在は、インバウンド等の災害対策として、AIを活用した被災者・帰宅困難者誘導システムの構築・一時滞在施設確保のためのビジネスモデルの構築と社会実装に取り組んでいる。

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