Edtechと文理融合教育(6)ーSociety5.0を見据えた社会学者の奮闘記ー


【出典】フリー素材ぱくたそ

人工知能の新しい方法論が考案され、その成果が喧伝されるだけでなく、特に人工知能に詳しい人でなくても簡単にその恩恵に預かれるようになった。とはいえ現段階においては、コンピュータは人間のような方法で言葉や行動の意味を理解しているわけではないので、その応用範囲は限定される。最近は「福岡発の人工知能」ということで、ガス会社のコールセンターに、日本のあらゆる方言に対応する人工知能システムが導入され、成果を挙げているらしい。自然言語処理によって、正答率90%台を実現しているというから、統計的検定における最緩基準である5%には及ばないが、かなり有効な合理化手段となっていることは間違いないだろう。

教育現場の実態

その一方で、日本語を論理的に読み解く能力を持たない若者が、大量に生み出され、それまま放置されているという実態があり、数学の公式の内容を理解できない中高生が少なくないという実態があり、大半の漢字の読み方が全くわからない中高生も珍しくないという事実がある。この件については小生も、衝撃的な経験をしたことがある。文系の学生向けの確率・統計の講義で、組み合わせの公式に関する宿題を出した時のことだ。代表を指名された学生が講義終了後、「計算が苦手なので、どうやってといたら良いかわからない」と相談に来た。そこで、エクセルの数式計算機能を使って解けばいいとアドバイスして、実際にやって見せたところ、学生はあっと驚いて「えっ?公式って値を当てはめれば、答えが出るんですか!?」と叫んだのである。その時は、「君達、そんなことも知らなかったなんて、人生随分損して来たものだねぇ」と笑い話にしたのだが、ここまでくると主体性の尊重とか自己責任とかいう以前の問題で、特定のクラス(層)に対する初等・中等教育の無意味性について真剣に議論しなければならない状態なのではないか、と思ったりする。何せ、彼らは、文系とはいえ、文部科学省に認められた大学の、堂々たる学生なのだから。

自分の人生とは本質的に関わりのない事柄?

小生の印象では、彼らはいつの頃からか、国語も数学も社会も理科もそして英語も、自分たちを自分たちの本質とは違ったところで自分たちを評価し分別するための、自分たちの人生とは本質的に関わりのない事柄であって、自分たちにとっては理解すべきものというよりは攻略すべきものであり、自分たちとは本質的に異質なものを理解して自分のものにすることで自分が変わっていく・成長していくことは、自分自身の沽券にかかわると感じているようなのだ。高校までの友人達との関係や教員達との関係の影響もあるだろう。そして恐らく彼らのアルバイト先では、できる若者ほどたくさん働かされ、ダメな若者はサボりまくりながら、同じ時給を貰っているという事実があり、それが彼らをして「自分の能力を向上させればさせるほど、人生で損をすることになるから、努力をするのは馬鹿らしい」と感じるメンタリティにしてしまったのだろう。

しかし、彼ら一人一人と向き合い、彼らの疑問に丁寧に応えて、彼らが自身が納得して理解する経験できるようにすると、彼らの奥底にある人間の本質が輝きだすこともある。学生の希望で、補講をした時のことだ。たった二人を相手に夕刻六時から始めた講義で、学生から出される質問に全て「学生たちがわかるように」答え続けたところ、学生たちは授業に夢中になった。そして、一時間半が経ち周囲が暗くなったとき、私の説明を完全に自分のものとした学生たちは、喜びのあまり叫んだ。「楽しかった。こんなに時間が短く感じたのは初めてだ。」その時私は、彼らが文科省教育によって、学力面でヘレンケラー状態になっていたのだと確信した。文系の学生であっても、確率・統計の知識を理解したいと思っている人は珍しくない。ただ、彼らが納得するまで説明してくれる教員がいなかっただけのことなのだ。そして、その状態が放置されたまま、文科省は教育改革を断行しようとしている。学校教育へのLMSの導入が、勉強が苦手な若者たちに学ぶことの楽しみを感じる機会を増やすよりも、彼らを教育投資の対象から外すことの根拠に使われることになるとの予感は、あながち間違っていないだろう。社会統計はそもそも、社会を管理するためにとられ始めたのだから。しかし、当の文科省が、自らの政策の「意図せざる結果」に何の責任も取らないのだとしたら、教育現場での「学級崩壊」事例が激増するのではないか、と思う。

AIが活用されることの意味

コールセンターでのAIの活用は、日本が長年行って来たOJTという、働きながら仕事を学ぶという機会を喪失させる。若者世代の国語力の低下と、先進国ゆえの最低賃金の高さ、そして労働生産性を考えれば、論理・統計・確率に還元できる領域が、AIとRobotに代替されていくことはやむを得ない。そしてそれは同時に、それらの領域に関わるOJTの機会が、社会から失われることを意味している。新井紀子教授の調査によれば、国公立のSクラスの大学の学生を除いて、国語読解能力に欠陥が認められるという。プログラミングは論理で行うものであるから、単純に考えれば、Sクラスに属する一握りの人たち以外にアプリ開発を行わせると、ほとんどの時間をバグとの戦いに費やす、非効率極まりない仕事になるということである。公式で答えは計算できても、どのような理由で公式ができているかを理解できなければ、プログラムの出力結果を吟味することができず、ゆえに、そのプログラムが正しく動いているかどうかを判断できないから、修正を施すこともできない。事前確率と事後確率についての理解がなければ、情報の価値について確率的に評価することができない。確率モデルを正しく理解し、危険率について正しく評価できなければ、統計的検定の結果以外の情報の重要性を理解できない。厳しい競争にさらされる企業に、こうした人たちがOJTで育っていくまで待つことを強いるのは、倒産を強制しているようなものだろう。したがって、さまざまな現場でAIが活用されることは、どう考えても避けられない事態、ということになる。

教育改革の成果には経産省の政策との連動が必要

そうであればこそ、学校が地域や企業や自治体に開かれることは必須であるし、高大連携に代表される水平・垂直両面における教育機関のコラボレーションもまた、重要なものになってくる。このあたり、従来の学区生入学制度や高校入試、そして六三三四制の条件付き無意味化を含まなければ、実効性がないあたり、文科省にはきちんと認識しておいて欲しいところだ。

ホリエモンの自伝的図書を丁寧に読めば、プログラミングと統計学教育が、従来の文化資産を前提とした階層の再生産の国家的な確認としての偏差値教育の構造を、根底から突き崩す可能性を持っていること気がつかない方が、どうにかしている。こうした新しい、問題解決に関する能力本位の教育は、ハイクラス・ミドルクラス・ロークラスのそれぞれについて、ドラスティックな構造変動をもたらすだろう。その時、若い才能を育み伸ばしていくことを使命とする学校サイドが気を配るべきは、本来備えるべき文化資産を継承していない若者たちが、それを要求されるクラスへと上昇・下降移動した際に受ける洗礼に対する対応法を、若者たちに身につけさせることである。ホリエモンが通信と放送の融合を図ろうとした際、そして、プロ野球の球団を保有しようとした際に受けた洗礼、そして、楽天の三木谷氏が同様のことをしようとした際の既得権サイドの対応の違いを、想起すればいい。

この違いは、両者が持つ文化資産の違いを露骨に示すものといえるが、文科省による教育改革の成果が、これと同様の構造によって無意味化される可能性は極めて大きい。教育改革の成果が社会に享受される形になるためには、出口戦略が必要であり、少なくとも経産省の政策との連動が必要となる。縦割り組織を前提とした行動の文化を頑なに守ってきた霞ヶ関に、それを壊す覚悟があるかが、日本の将来を左右することになろう。


天野徹
天野徹

明星大学人文学部人間社会学科教授。
専門は、情報社会学・社会統計学・都市社会学。東京都立大学大学院博士課程単位取得中退。社会学をベースに、文理融合・問題解決の知のあり方を追求してきた。(財)あしたの日本を作る協会の委員として、webサーバーを立て、「地域づくり運動情報データベース」を構築・公開。社会調査の領域に、ハイパーテキストを活用したプレゼンテーション作りや、3Dモデリングによる景観シミュレーションを導入。東日本大震災の後、自ら提唱したコミュニティ・ネットワークの理論をもとに、災害レジリエンスを備えた社会システムと、それを実現するための情報システムを構想。PHP、Java Script、CSSなどを用いて、義援物資マッチングシステムと避難所情報収集システムを構築し、サービスを公開。現在は、インバウンド等の災害対策として、AIを活用した被災者・帰宅困難者誘導システムの構築・一時滞在施設確保のためのビジネスモデルの構築と社会実装に取り組んでいる。

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