「盛り上がり」至上主義の功罪


いつの日からだろう。「盛りあがりました」というニュースでの発言を聞くようになったのは。

大学時代も「昨日の飲み会は盛り上がったよね!」という言葉が飛び交い、大学生活に必死だった私には遠い世界の出来事にように思えたことがあった。

「頑張って盛り上げよう」という一生懸命な女の子の必死さを前に、盛り上げに一役買った経験もある。

それから20年、テレビでも「盛り上がりました」という形で、イベントのニュースは締められる。そうした日常。

盛り上がれば、何でもOK、そんな感じであり、目的達成度がどうであろうと言い訳がつく、まさに、錦の御旗。

価値観は盛り上がり?

皆が楽しい気持ちになり、雰囲気になるということはそれでそれで素晴らしい。
なんとなくいい感じの雰囲気になればそれでオーケーというのは学生サークルのイベントならまだしも大人のイベントや税金が入っている行事までそんな価値観で語られることが多い。

地方創生や地域のイベントでの基準は「いかに盛りあがったか」なのだ。

そもそも盛り上がらないイベントだってあるのだ。盛り上げる必要もないのに、無理に盛り上げる必要があるのだろうか。盛り上がる必要のために、不自然な活動を強いられるのが現場である。

その趣旨とは違った形で、ゆるキャラ🄬、地域キャラクターを集めてきたり、芸能人を呼び寄せたり、芸能ショーが行われ、子供たちが動員される。それなりにいいイベントだから水を差したいわけではないが、「盛り上がろ」と無理な目標を現場に強いるのはパワーハラスメントにも思えるときがある。

「盛り上がりました」というのは個々人の事実認識であり、解釈である。だから、盛り上がったように思えれば成功、よく見せれば成功、地元テレビや新聞にとりあげられれば成功・・・・。

なんなんすかね。

一時の盛り上がりよりも大切なこと

お祭りの盛り上がりは大事。地域のイベントで集客は大事かもしれない。一瞬の出会いに、それぞれの喜び、楽しみ、感動があるのかもしれない。

「盛りあがり」の文脈は特にスポーツイベントで最大限発揮される。

ワールドカップ
アジア大会
東京五輪(の準備)

盛り上がることより大事なことがあるはずなのだ。
選手たちの技術がいかにすごいかを知る、それまでにどれだけの鍛錬があったかを想像する、スポーツの価値を知る、五輪憲章の意味を知る、国際交流をすることなどなど。

お金をそれなりに書ければ、
テレビやネットで注目を集める人を呼べば、
多くの人が集まってそれなりに交流したりすれば

一定の「盛り上がり」は作れる。

「盛り上がった」というが、どういった状態なのか、一部の人が盛り上がったのか?空気がそんな感じなのか?盛り上がることがどれだけの意味があるのか?
盛りあがり至上主義の風潮には疑問を少々感じるのである。


西村健
西村健

人材育成コンサルタント、NPO法人日本公共利益研究所(JIPII:ジピー)代表、事業創造大学院大学 国際公共政策研究所 研究員・ディレクター、一般社団法人日本経営協会講師、未来学者。
慶應義塾大学院修了後、アクセンチュア入社。 その後、日本能率協会コンサルティングで経営・業務改革、人材育成、能力開発を支援してきた。独立後、人事評価制度構築・運用、キャリアカウンセリングなどのコンサルタントとして活動中。最近はプレゼンテーション向上、モチベーション施策などに注力。

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