Edtechと文理融合教育(7)ーSociety5.0を見据えた社会学者の奮闘記ー


【出典】フリー素材、ぱくたそ

第二次世界大戦の末期、ロジスティック抜きで兵士を送り出した無謀とも言える作戦が、多くの若者の命を奪ったことを、霞が関は忘れていないだろうか。かつては、先進的な教育を受けたSFCの優秀な卒業生に、就職先の会社の旧態依然とした体質に嫌気がさして、大学院に戻るケースが珍しくなかったとも聞く。映画「空飛ぶタイヤ」に描かれたように、旧財閥系企業が強力な支配力を持つ日本の経済界で、文科省の思い描く新しい人材がその能力を存分に発揮できるのであろうか。山根的な体質、栄的な体質、日大的な体質、日本医科大的体質が根強く残る日本社会において、文科省の考える新しい能力を身につけた若者が、人材として受け入れられるのだろうか。そして、文科省の政策転換の成果を自分のものとして能力を開花させるであろう若者達に比べて、その政策についていけないものの方が遥かに多く、格差社会の拡大といった事態を招く結果となる可能性について、どのような考慮がなされているのだろうか。

こういったことに想いを馳せるにつけ、今回の教育改革はまともに行われれば旧態依然とした日本社会に対して破壊的な影響力を持つことは明らかで、バブル崩壊直後に比肩するような社会的アノミーを発生させる可能性すらあるだろう。もっとも、それは、全国規模で「まともに行われれば」の話であって、文科省の思い描く水準を満たす事例は、さほど多くならないような気もするのであるが。

< h3>学力レベルで下位に位置づけられる若者たちに対する視点

文科省の政策に対する今一つの疑問は、学力レベルで下位に位置づけられる若者たちに対する視点である。小生はかって、Fランクに位置する大学の講義で、講義のテーマに関する質問を毎回設定しては、提出させることを繰り返したことがある。それは正解がある小テストではなく、学生たちが一人一人の経験と思考に基づいて自分なりの答えを書き綴ってもらう、というものだった。こうした授業方式は、学生たちにとって、非常に刺激的だったらしく、「質問に対する答えを考えることは楽しい」という感想もあった。しかし本当の問題は、その後にある。彼らは、「質問を与えられると自分の頭で考えるし、自分の頭で考えることは楽しいが、授業が終わったら自分の頭で考えなくなってしまう」というのである。サークルや研究会などを作って継続的に考察していこう、ということなど、発想の外にあるということだ。そうしたクラス(層)に特有の文化は、時に、能力を開花させ羽ばたいていく仲間への嫉妬や妨害に結びつく。つまり、能力を開花させることは楽しいが、能力を開花させると社会的な存在基盤を失う危険があるというわけだ。そうしたことも、彼らが自らの能力の開花を自ら意識的に抑制する一因となっているのではなかろうか。そしてそうしたケースは、今の時点でも日本のありとあらゆるところに散見できるのではないか、と思う。

さらにいえば、プログラミング教育は必ずしも、文科省のイメージする形での問題解決能力を伸ばすとは限らないのではないか、という疑問もある。NHKの「おはよう日本」で紹介されたedtechの事例では、与えられた課題に熱心に取り組み、解答にたどり着いたことを喜ぶ子供たちの姿が映し出されていた。しかし、そのようなケースは、むしろ稀ではないのか。現実の子供たちは多様な関心を持っているから、それぞれの子供たちの関心に沿った形でアルゴリズムの学習を始めた方が、効果的であり、その後の展開が豊かなものとなり、しかも脱落者を減らせるのではないか、という疑問である。

プログラミング教室で見えたこと

かって小生のゼミでは、日野市における「子供の貧困」対策として、小学生を対象とした「未来を拓くプログラミング教室」の開催を決め、初めてプログラミングを体験する子供たちに教えられるレベルになってもらうために、学生たちに作品づくりを行わせ、授業計画を立て、受講生募集のチラシを作って、ゲリラ的に実施したことがあった。

ゼミの学生たちは、当初こそプログラミングに生理的な抵抗を感じて拒否したものの、ゼミでの議論をもとに小生が作った作品を見せて作り方を説明すると、それぞれがそれぞれの関心に基づいて、小生が見せたものとは「全く異なる内容」の作品を、思い思いに作っていった。そして当日、小生の作った「勉強の匂いのする」作品よりも、彼らがそれぞれの関心に基づいて作った作品の方が、受講生となった子供達からの評判は高かった。

プログラミングやアルゴリズムを習得している者は、初学者が少しずつテクニックを身につけていけるように配慮し、論理的・系統的に学習内容を組み立てていく。それゆえ、初学者にも後々の展開を考えて作品を提示する。しかしながら、学生たちは、自分が初学者であるという条件を一切考慮せずに、自分が作り上げたい作品のイメージを、ひたすらに追い求めていった。学生たちはマイクロビットで子供受けしそうな楽曲を演奏するプログラムを作り、スクラッチでは猫が飛び回りながら鳴き声をあげるプログラムを作った。

千里の道も一歩から

その一方で、初めから複雑なアルゴリズムが必要となるオセロゲームの作成に挑んだ学生は、予期せぬエラーに癇癪を起こして授業中にキレてしまい、怒声を発した挙句、投げ出してしまった。経験者には当たり前のことだが、プログラミングはバグとの闘いであり、複雑な内容であればあるほど、バグ取りは難しい。スマホを使って指先一つで用を足すのが当たり前と思っている学生たちには、自分がそのアプリを作る側に回った時に直面するストレスにどう対応してよいかわからず、それゆえにキレるしかないのかもしれない。そして、これと同様の事態が、この先、小学校のパソコン教室で展開されることは、間違いないのではないか。小生のゼミ生のケースでは、受講生の特性を理解してシンプルな作品を作った学生の作戦勝ちということになるのだが、無謀な挑戦をした学生にはその意欲も評価した上で、「千里の道も一歩から」と諭した上で、一つ一つ手順を踏んで能力を身に付ける手ほどきをすべきだろう。
文科省による新しい教育の目標は美しいが、若者たちの多様な才能を受け入れる度量と、無できるだけの寛容性を現場教員が持ち合わせていなければ、学級崩壊のような事態が至る所で発生するものと考えられるが、どうだろうか。かって、山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」そして、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」といったと伝えられる。これは、上司と部下の間だけではなく、教師と生徒の間にもあてはまる至言だろう。果たして文科省は、生徒たちが信任するに足る教師を、あまねく全国で確保することができるのだろうか。


天野徹
天野徹

明星大学人文学部人間社会学科教授。
専門は、情報社会学・社会統計学・都市社会学。東京都立大学大学院博士課程単位取得中退。社会学をベースに、文理融合・問題解決の知のあり方を追求してきた。(財)あしたの日本を作る協会の委員として、webサーバーを立て、「地域づくり運動情報データベース」を構築・公開。社会調査の領域に、ハイパーテキストを活用したプレゼンテーション作りや、3Dモデリングによる景観シミュレーションを導入。東日本大震災の後、自ら提唱したコミュニティ・ネットワークの理論をもとに、災害レジリエンスを備えた社会システムと、それを実現するための情報システムを構想。PHP、Java Script、CSSなどを用いて、義援物資マッチングシステムと避難所情報収集システムを構築し、サービスを公開。現在は、インバウンド等の災害対策として、AIを活用した被災者・帰宅困難者誘導システムの構築・一時滞在施設確保のためのビジネスモデルの構築と社会実装に取り組んでいる。

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