インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」<第18回>「フェイスブック」-Web上の「ソーシャル」という空間の運営者-(その1)


今日から4回、いわゆるGAFAの最後としてフェイスブックを採り上げます。

・2018年1月時点での月間アクティブ利用者数(MAUs)は22億人
・デイリーアクティブユーザー:14億5000万人

と言われるほど巨大になったフェイスブック(以下FB)。個人情報管理の問題で何かと物議を醸している話題の会社ですが、その1回目として、今回はユーザーから見たFBの魅力です。実は筆者、何を隠そう2010年に使い始めてからずっと「FB中毒」であり、現在では朝晩の歯磨きとか、帰宅後の石鹸での手洗いのように、「やらないと何だか気持ち悪い」、1日の重要な時間となっています。

まだ始めていない人、SNS疲れで離脱した人、インスタやラインばかりでFBユーザーを「ウザいオジサン、オバサン」あるいは「リヤ充の巣窟」とみなす若者たちにはFBの本当の魅力=活用方法が分かってもらっていないように思いますので、今回はFB中毒者から、そのあたりについて説明したいと考えています。さもないと、「FBなんか、データ管理で杜撰、危ないものなんだから、社会から抹殺してしまえ」といった極論に安易に走ってしまう懸念があるからです。

さて、個人情報の取扱いに関するスキャンダルで値を下げながらも、数多あるSNS企業として最大、かつ世界の会社の中で未だ時価総額6位に君臨するフェイスブックはありますが、設立は2004年とこれまで本連載で採上げてきたGAFA+マイクロソフトの中では圧倒的に社歴が浅く、それだけ短期間で急成長してきたことがわかります。次回詳述しますが、FBは世界的には完全にSNSにおける覇者と言えるでしょう。

筆者がフェイスブック(以下FB)を始めたのが2010年、それ以降の約8年間、飽きることなく今でも毎日1時間半ほどはFBをやっているのですから、既に「SNS疲れ」あるいは「FBからの離脱」を果たした人にとっては、「何が面白くて、今でも・・・」と言われるであろうことは想像にかたくありません。日経新聞、Podcastでの英語ニュースのリスニング、スポーツジム通い他、毎日毎日「一度継続したら止めない変人」である筆者でも、流石に「魅力や、ユニークさ」のないものを意地で継続しているわけではありません。心から楽しいので毎日継続利用しているのです。

SNSとは、そもそも
①特定の人たちとの、
②交流のツール

です。FBの魅力やユニークさを示すために、筆者のFB利用を例にとって、上記①、②に焦点を当てながら見ていきましょう。
つまり①「特定の人」とはどんな人のことで、②「どのような交流」が楽しいのか、ということですね。

筆者にとってFBの「友だち」との交流とは、ズバリ「面白い人」との交流です。面白い人とは、「面白い(興味深い)こと」を投稿してくれる人であり、ふだんの生活では得られない何かを交流の中で与えてくれる人のことです。そして、そういう人たちは、時々はこちらの投稿について面白がってくれることもあるでしょう。

交流の仕方について少しクリアにするために、ここで敢えてちょっと寄り道をして、「飲み屋」での交流の仕方について考えたいと思います。

筆者は体質的に、お酒をあまり沢山飲むことが出来ません。よって飲みながら少しずつ気持ちが良くなって、そのプロセスを楽しみながら、そうした楽しみを分かち合いながら酒席を盛り上がっていくということが理解できないタイプの人間です(食えない、めんどくさい人間です)。少し飲むだけで、もう飲めなくなって、それ以上飲むと眠くなって寝てしまう、さらに飲むと(汚い話ですが)戻してしまう・・・というわけです。

何が言いたいかと言うと、酒好きが「大した話題もないのに」、ただ「酒の話をしながら」一緒の時間を共有することが楽しい・・・というタイプの人は、FBを8年も継続しないだろう、ということです。

例えば、ある「友だち」が食べたもの、居る場所の投稿をし、それをただ見るだけでは、何も「面白い」ことはない、その食べ物が読者にとって何か意味がある(例えば、「へー、そんなものがあるんだ」との発見であったり、「今度自分も行ってみよう」といった気持になる)のでなければ、「面白くない」と筆者は感じるわけです。

つまり、不特定多数に対する自己満足の表現ではなく、投稿や「シェア」や「いいね」によって、「双方向の」すなわちあくまでも受け手との関係の中で、交流を深めたい「特定の人たち」とempathy(共感)を深めながら、繋がっていようとする(engagement)こそが、筆者にとってのFBだということです。要は、FBをやることによって「何かを得られる」こと、そうでなければ「時間のムダ」と感じてしまうのです。

箇条書きでもう少し具体的に書けば、
・知的好奇心を充たしてくれる
・自分にはない視点を提供してくれる(但し、相手の投稿を真っ向から否定するような行為はN.G.とされる、ただどのようなリアクションであれ、「自己客観化」にはプラス)
・仕事や趣味での共通の課題で意見を交換
・発信による自己表現欲の実現
・他者の「いいね」「シェア」「コメント」による自己承認

といったことが筆者の場合のFBにより達成できることです。ただ、人によって使い方、重点の置き方は違うのでしょう。

学生の頃、そして今でも友人と会ったとき、「オイ、何か面白いことないか?」とか、「最近読んだ面白い本、教えて?」「何か面白い本ないかな?」そんな会話をしたことがある人は、FBを長く続けられる人かもしれないと思います。さもなくば直ぐ離脱ですね。

誰でも、その人の本棚を見れば、「どんな人なのかある程度わかる」あるいは少なくとも、「どんなことに興味があるのか」「知的レベルはそれ位か」「人生に対する考え方・・・どんなことで人生を過ごしているのか」がある程度わかるのでしょう。FBは正にそういうものであり、でも類は友を呼ぶ、別にリヤ充だったり知的レベルの高い人ばかりがFBを利用できるというわけでもなく、本来は「似たような人」同士で交流すれば良く、そうした設計でFBは出来ているはずなのです。
「ソーシャル」、今回はあまりうるさいことを言わずに「社会」と訳しておきますが、社会とはそういうものなのだと思います。人それぞれ良いところがあって、誰にも、自分たちに相応しい形で交流し、楽しく人生を全うしていく・・・ということです。FBの場合には、コンテンツ・・・つまり「投稿」というものが交流の核になっているわけなのです。

ちょっと長々と、FBの魅力、ユニークさ、あるいはその性格について書き連ねてきましたが、さらに具体的な形で、筆者のFB生活8年の軌跡と筆者の人生を箇条書きで辿りながら、その機能や効用について見ていきましょう。

・2010年FBを始めようかどうしようか、触りながら考えようとしたら、いつの間にかプロフィール入力画面になっていて、「いいや、始めちゃえ」と会員になる。なると同時に友だちのプロフィールが出てきて、申請をしている内にFB上の「友だち」が増加
・当初は、専門領域の一つである「スポーツマネジメント(スポーツビジネス)」関連の情報収集、情報交換などを主目的にFBを利用しようと考え、その領域の既存の友人たちを取っ掛かりとして人脈を拡大していった。同時に(当時まだFBの利用者が相対的に少なく)予てから尊敬していた未知の有識者などとも気楽にFB上では友だちになれた。
・2011年東日本大震災・・・放射線、原発、電車の運行情報を始め生活情報など諸々の疑問の中で、信用できるFB友だちからの信用できる「情報」の導きで状況の把握などに自分の整理が出来、FBの威力の虜になる。
・再生エネルギー探求のグループ、震災後に閑散となった飲食業救済のグループなど、震災後に立ち上がったFB内のグループに参加し、そこでの交流、オフ会での交流などによって、新たに興味をもった領域での知識、人脈の獲得というFBの威力を知る。
・2014年、2015年に複数の友人たちが世直し目的で選挙に参戦、それもあって政治や行政といったそれまで避けてきた領域での興味が湧き、FBの友だちを辿って、そうした領域でのFB友だちの拡大、オフ会での人脈拡大などを行う。
・2013年から、当時勤めていた会社の定年(60歳)を控え、経営コンサルタントの資格を取得、その領域での情報収集、人脈拡大をFBを利用して進める。
・(奇跡的に?)2015年から公募により大学の専任教員に転進出来たことから、大学教員、教育関係、担当授業領域(経営、スポーツマネジメント、経済、コーポレートファイナンス、ロジカルシンキング、インターネットビジネスなど)について、FBを使った知識習得、情報交換などを行う。
・大学のある深谷市の「有識者会議」委員を依頼され、地方創生、産業振興に関してFBを利用。ついでに、大学院の授業においても、地方創生関係の授業を開設。

こうして振り返ってみると、筆者にとってFBは、

・いつでも会えるような人ではない、過去の人生で出会った「面白い人びと」と常に投稿を通して繋がっているためのツール、だけではなく
・人生の新たな領域を拡げて行くときに有用なツールとして非常に有益なものであった

と言えるのではないでしょうか。

筆者がFBに8年もはまり続けているのは、筆者自身がリアルの世界でもやっているような人とのつき合い方がFBというバーチャルな世界でも実現されている、ということなのだと思います。つまり、面白い何かを共有したり、それについて意見を交換したり、新たな友だちを紹介し合ったり・・・というような交流をサポートしてくれるのがFBというわけです。

2年前のベストセラー「ライフ・シフト」(原題は、より直接的な「The 100-Year Life」)において、著者は人と人とのつき合い方として、「緩い知り合い関係」をたくさん持つことの重要性を述べています。また幸福学の前野隆司氏も、「弱い紐帯のある会社や集団は幸福度が高い」と言っています。

これは、どういうことなのでしょうか?筆者の経験に引き付けて説明しようと思います。家族(親子、兄弟、夫婦、親戚)、親友、会社の上司・部下関係など「濃い」関係は、互いに義務、利害関係などによってがんじがらめになっており、息を抜くことができない、あるいは互いが互いの言動に対して見過ごせないといったことに陥りがちです。

「ライフ・シフト」に言うところの「変身資産」、具体的に示すと例えば、職探しをしているときに、(「自分の会社で働いてみないか」とか「あの会社なら口を効いてあげられる」といった濃い形ではなく)「・・・なら社長を知っているから、入れてくれるかどうかはわからないけど、会うだけなら紹介してあげられる」といった形で(そんなに利害関係バリバリではなく)親身になってくれる「友人・知人」がたくさんあればあるほど、職をゲットする確率は上がります。
また濃い人間関係に疲れたときに逃げ込める、客観的なアドバイスを求めることができる・・・といったことも「緩いつき合い」のある効用です。

筆者の場合も、かれこれ30年以上の期間、年賀状は止め、その代わりに多少長文での「近況」をメールで信用できる「緩いつき合い」の何百人かに送ることにしています。その時の心境、仕事の状況などを(自分のことを、それなりに大事に思ってくれる)友人たちに共有してもらい、(「出来れば」という枕詞を入れて)相手の近況も送ってもらうようにしてきました。

年賀状のように、1行で語れる近況、「今年もよろしく」のような儀礼的な挨拶を越えて、「濃いつき合い」と儀礼的なつき合いの中間的な「緩い関係」を長年構築し、増やしてきました。

信用できる、つまり「何か依頼をすれば、(そのことがシリアスでなければ)協力してくれる」そして、同様にこちらが「依頼されれば、自分が出来る範囲で協力したくなる」ような人たちと、この年賀メールで長年繋がってきたことは大きな財産となっており、何をするにも、「誰かに聞けばいい」ということは本当に重宝です。医療知識、法律知識などは本当に専門家と繋がっていることは重宝だし、同じように、筆者側が金融知識、スポーツ関係の事情などを聞かれて、(こちらは単に10分位自分が知っていることを教えてあげるだけで)とても感謝されたということも何度もありました。

学校時代の友だちが、そういう関係の最たるものかと思いますが、生きてきて、その中で、「今後も長くつき合いたいな」と思っている、こうした人々とのつき合い・・・・そうです、それこそがFBの「友だち」で形成される「緩いつき合い」ではないかと思うのです。

FBはFBの分析・ルールによって、こちらのタイムラインに乗せる「友だち」の投稿の優先順位を決定し、筆者の「シェア」「いいね」「コメント」他の情報によって、たくさんのFB「友だち」の数多ある投稿の中から、上記に書いた「信用できる」あるいは「つき合いたいと思っている」「友だち」の「面白そうな」投稿を選別してくれます。

こうした緩いつき合いの友だちを、上記の年賀メールなどやFBでキープしてきたことによって、7、8回にわたる転職を経て、63歳になる今までの期間、仕事にあぶれることもなく、キャリアも多方面で蓄積させてもらい、そして楽しい人生を送らせてもらうことが出来ました。

今回はFBを始めたころからの個人的な経験を交え、FBの魅力、ユニークさについて、書きました(と言うか、聞いていただきました)。次回は、FBにおける「ソーシャル」の意味などについて考えてみたいと思っています。

「インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」連載シリーズ

第1回 「インターネットの始まり及び、この連載の狙い-増殖する生命体
第2回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その1)
第3回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その2)
第4回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その3)
第5回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その4)
第6回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その1)」
第7回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その2)」
第8回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その3)」
第9回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その4)」
第10回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その1)」
第11回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その2)」
第12回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その3)」
第13回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その4)」
第14回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その5)」
第15回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その1)
第16回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その2)
第17回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その3)


小寺 昇二
小寺 昇二

埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授
2014年より埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授。授業担当は「e-ビジネス論」「財務管理論」「スポーツ経営」「地域経営論」「現代経済論」「現代経済史」等。ラグビーチーム一般社団法人横河武蔵野アトラスターズ監事、埼玉県深谷市総合計画策定審議会委員。NPO法人日本公共利益研究所コンサルタント。

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