インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」<第19回>「フェイスブック」-Web上の「ソーシャル」という空間の運営者-(その2)


前回はFBの魅力について書いたわけですが、終わりの方に示した筆者自身の「緩いつき合いの友だちとの関係性に基づいたネットワークの構築」は、創業者のマーク・ザッカーバーグが意図的に作り上げたFBの仕組み「「ソーシャルグラフ(FB内のデータの塊)を作ること」と言い換えても良いように思います。

ユーザーに相応しい(ユーザーにとって意味があり、大事な)ネットワークを、FBを使って、具体的には投稿、シェア、いいね、コメントなどのアクションを使って、作っているのです。

ソーシャルグラフの「グラフ」とは関係性のことであり、そもそもこうした人間関係などの関係性に着目した分析手法である「グラフ理論」(グラフ分析)は、「オイラーの定理」で有名な18世紀の数学者レオンハルト・オイラーが創始したもので、グーグルの検索などとは全く違う、社会のようにたくさんの人間の集合体である組織の検索・分析に適したものです。

ザッカ―バーグはこうした検索・分析手法を「グラフサーチ」と呼び、このやり方によってFBではユーザーごとのタイムラインが構築されているわけです。

因みに、FBにおいては2013年より、タイムラインの構築だけでなく、上記の趣旨に沿った検索・分析が可能な「グラフサーチ」というサービスも始まっています。
またFBではグーグル同様キーワード検索で、FB全体のソーシャルグラフから、関係の投稿を探し出すことが出来ますが、ソーシャルグラフのデータにアクセスして、質問形式で自分の欲しい情報、見つけたい人などを探すことが出来ます。現時点では英語でのサービスのみですが、例えば、(使用言語を英語にして)「Restaurants nearby」と入力すれば、FBの膨大なソーシャルグラフから、利用者の位置情報を加味して近場のレストランに関するFB投稿が出てきます。キーワード以外の「関係性」などFB独自のやり方により、キーワード検索以外でもFBではこのようなことが出来るのです。

筆者の周りにも、FBから離脱した人、アカウントはあるけれど日常ほとんど使わない人がたくさんいます。そういう人は、もちろん忙しすぎたり、プライバシー的なことでFBの仕組みに異論があったり、「ソーシャル疲れ」だったりということもあるでしょう、それはもっともなのですが、FB好きの筆者に言わせてもらえば、前回述べたような「緩い人間関係」のメリットやそうしたものの重要性を認識できていないからなのではないかと思うのです。つまり、そういう人だって、きちんとFBの良さを認識してもらい、意識的に活用することによって生活にワンスパイス加えた、豊かさを実感できるのではないかと、FB中毒者は思ってしまうのです。

もっと具体的に、WIRED2013.3.23の記述を引用してしましょう。
「デートの相手を探したり、人材を募ったり、ふと思いついたときに一緒に出かけてくれる友達を見つけたり、あるいは新しいレストランやビジネスを発見したり。何より重要なのは、それがFacebookの基本使命を拡張したことだ。ただ前から知っている人同士をつなげるだけでなく、発見のための媒体となる、ということだ。実はこれは原点回帰にほかならないとザッカーバーグは言う。『創立当初は、大学内に限られてはいましたが、Facebookにはそのような機能が備わっていました。当時のFacebookは新しい出会いやコミュニティをつくるためのものでもあったのです。しかし、数千人の利用者が一度にFacebookを使うようになると、それは難しくなりました。次第にFacebookは探している条件に合う人と出会うことより、まずはすでに知っている人との関係を保つためのものになっていきました。そんな新しい出会いの側面を発展させた機能こそがグラフサーチなのです。自分自身のコミュニティを探求すること、それはなくてはならない人間的欲求です。そしてグラフサーチはその目標に向けてのわたしたちの大きな第一歩です』。」
実際の社会とは別のところに、ソーシャルグラフとそれを使った検索やソーシャルサーチによって出会いや人間の繋がりを実現することを可能にする豊かな空間を、FBは提供してくれているということなのです。

以上、ちょっと長めの、前回記事への補足でしたが、続いて今回の本題、SNS(Social Networking Service)の「S」、つまり「ソーシャル」≒社会 ということについて以下述べましょう。

読者の皆さんは、SNSという世界における、このソーシャル≒社会というものを、どう捉えていますか?

以下のグラフは、総務省が行っている調査(全国の13歳から69歳までの男女1,500人を対象として、2016年11月に行われたもの)による2017年の日本国内のSNSの利用率のデータです。

FBはチャット的要素の強いLINEや映像視聴を中心とするYouTubeを除いたSNSらしいSNSの中では首位にはあります。

同じ統計の世代別データが以下です。

ボリュームゾーンは30代中心の20~40代ということですね。

FBの年代別利用者の実数も含んだ数字としては、


【出典】Social Media Lab)

一方、米国における状況は、以下。

競合が多い中、圧倒的にFBが優勢です。
この原因は、以下の年齢別のグラフで窺い知れるように思います。


【出典】https://gaiax-socialmedialab.jp/post-30833/

要するに、

①日本人はFBが苦手
②特に、日本の若年層はFBが苦手

だということです。

筆者が日常接している大学生では、FBをやっている人がほとんどおらず、その理由を聞くと、「面倒くさい」「長い文章が耐えられない」「あれはリア充のツール」と必ず答える、彼らの利用の実情に合致しています。

これからの社会を担っていく若者に、是非上記ソーシャルグラフの説明にあるようなFBの良さを理解して、豊かな人間関係、情報交換、幸せな人生を歩いていって欲しいなどと、一応現在は教育者の端くれとしては思うわけですが、まあ、若者には若者の考え、感じ方があるので、アレコレ言ってみても詮無いように思います。

それよりも筆者が指摘したいのは、「FBは苦手」と考える人が、日本においては、若者だけでなく大人たちにも多いということです。数字で見ていきましょう。

日本の直近のFBの月間アクティブユーザーは2018年6月では2,800万人、FB発表の2018年6月の全世界での月間アクティブユーザーは22.3億なので日本のシェアは「1.26%」。世界の人口(総務省2015年の73億人)に対して1.27億人の日本の人口では「1.74%」に比べて低いし、73億人には発展途上国も多く含まれることも考えれば、先進国の中では相当低いのではないでしょうか。

その理由の一つは、前述のように若年層でのFB嫌い、なのですが、それと同時に全世代に共通する「人間関係」における特性に拠るのではないかと筆者は考えています。

つまり、SNSの「ソーシャル」≒社会という、たくさんの人による共同体のあり方が、日本の場合、他の先進国(主には西欧)と違うのではないかと言うことです。そして、それはSNSのバーチャルな世界のベースとなるリアルな、実生活での社会のあり方においても言えると筆者は感じています。

結論をズバっと書くと、これは、古くは丸山真男の言う「古層」や山本七平の「空気の研究」で表現された日本人の「無責任な意識」、土居健郎の「甘えの構造」に記された「周りの人に好かれて依存できるようにしたいという「甘え」によって成立している日本の社会の欠陥、に起因しているのではないかということなのです。

FBでの投稿、リアクションは、相手が「友だち」、あるいは「友だち」を起点とする「特定多数」なので、それほど気を遣う必要がないように初心者が勘違いすることがありますが、特定多数であっても実際は、「自分の意見をしっかり持ち」、投稿やリアクションに対して「責任」を持って行動する「大人」が想定されている、それがFBに具現化されている「ソーシャル」≒社会というものです。

「友だち」だからと言って、互いに甘え合って、依存しあい馬鹿を言い合う無礼講ではないのです。

筆者自身、外資系の会社に2社勤務したことがありましたが、強く意識したことは、会社という「社会性のある組織」では、一時たりとも気を抜くことは許されず、「責任ある大人」として行動しなければならない、ということです。

例えばハラスメントです。
最近でこそ、「セクハラ」「パワハラ」などが日本の会社でも言われるようになりましたが、筆者が外資系に勤務していた2000年代では、日本の会社での意識は希薄でした。片や外資系では、既にもうそうしたことは社内で強く意識されていました。具体的には、筆者が経営陣の一人としてグループのヘッドを務めていたときも、自分の一挙手一動が常に見られており、問題のある発言、行動があったときは即「コンプライアンス担当」にチクられ、足を引っ張られ、職を辞さなければならない・・・と、そんな覚悟をしながら行動していたものです。

要するに、西欧においては、一歩家を出たら(もっと言うと、夫婦の間ですら)気を許してはいけない「社会」なのだと言うことなのです。彼らにとってはそれが当たり前であり、ガキの頃から、そうして育てられています。よく不祥事を起こした日本の会社のトップが記者の取材で不用意な発言をして問題化するのも、こうした社会というものに対する理解不足、つまり日本の「会社」という依存関係空間に慣れ切ってしまっていて、全てのことに自分が責任があるという西欧的な原則が貫徹する(不祥事対応の記者発表のような)場ではボロを出してしまうということなのです。

自分自身は、リアルでもバーチャルでも、世の中は常に「ソーシャル」≒社会的であるといつも意識しているつもりですが、現在の日本の社会を見る限り、太平洋戦争後の総括ですらきちんと出来ていないこの日本の社会では、FBがメジャーになるのは、あきらめにもにた感情を抱きながら、難しいように思っています。

話は少し変わりますが、筆者が研究者、あるいは実践者として活動していることの一つに「スポーツマネジメント(スポーツビジネス)」というもの(実践的学問)があり、その中で最近話題となっているのは、「スポーツマンシップ」ということです。結論的に、「スポーツマンシップは何か?」と問われれば、ゲームだけではない生活すべてにおける「respect」であるとスポーツマネジメント関係者は答えます。ゲームをやらしてもらっている周辺の人たち、ルールというもの、審判、相手(対戦相手(Opponent)を「敵」(Enemy)と呼ぶのは日本だけです)、チームメート、自分自身・・・全てに対しrespect することが求められます。つまり、ゲーム、そしてゲーム以外のどんなときにも、責任ある大人として行動する・・・スポーツとは、そのような、ある意味厳しいものなのです。

SNS、そしてFBでも、スポーツマンシップ同様のことが必要とされています。自分を律しなければならない、それがSNS、そしてその代表格たるFB、です。
ビジネスの世界でも日本では、企業にぶらさがり、企業内の同筆カルチャーの中で甘えて生きている人が多かったわけですが、今後は自分で自分に責任を持たなければならない人、つまり自営業、フリーランサー、ベンチャービジネス社員など、の利用が多く、そうした人のビジネス的な活用、ネットワーキングの場、そして「守秘義務のある会社業務とは関係ないことだけを投稿する」趣味など会社以外の生活が充実している大企業の人が中心の場、になっていくように思います。

まだFBやっていない方は、今回の文章を読んでますますFBから足が遠のいたかもしれませんね。でも、もしかして、これからの21世紀にサバイブしていくためには、そして日本人一人ひとりが組織に依存し過ぎることなく、自分自身の人生を当事者意識をもって豊かに彩っていくこと・・・・そしてそうした自律的な大人の振舞いによって社会を変えていくには、FBのようなことから始めていくのも一法ではないでしょうか?

「インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」連載シリーズ

第1回 「インターネットの始まり及び、この連載の狙い-増殖する生命体
第2回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その1)
第3回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その2)
第4回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その3)
第5回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その4)
第6回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その1)」
第7回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その2)」
第8回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その3)」
第9回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その4)」
第10回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その1)」
第11回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その2)」
第12回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その3)」
第13回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その4)」
第14回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その5)」
第15回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その1)
第16回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その2)
第17回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その3)
第18回 「フェイスブック」-「Web上の「ソーシャル」という空間の運営者」(その1)


小寺 昇二
小寺 昇二

埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授
2014年より埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授。授業担当は「e-ビジネス論」「財務管理論」「スポーツ経営」「地域経営論」「現代経済論」「現代経済史」等。ラグビーチーム一般社団法人横河武蔵野アトラスターズ監事、埼玉県深谷市総合計画策定審議会委員。NPO法人日本公共利益研究所コンサルタント。

小寺 昇二の記事一覧