「インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」<第21回>「フェイスブック」-Web上の「ソーシャル」という空間の運営者-(その4)


今回はFBの完結篇として、次から次に出てくる不祥事によって引き起こされているFBへの批判の内容及び、今後について考えてみることにします。

まず、今回批判にさらされている点について、箇条書きで簡単にまとめてみましょう。

①データの取得方法、つまり利用者が意識しないままに大量のデータ(個人情報)がFBに蓄積されていたこと
②FBのデータ管理について、怪しげな業者(ケンブリッジ・アナリティカ)に情報を渡していることが判明したこと、しかもそれはFBの内部的なルールに反するものであったこと
③そしてその業者がトランプ陣営の政治キャンペーンを含む政治的な業務を行っており、FBのデータが「悪用」されたこと
④利用者が意識しないままにFBが取得したデータを使って莫大な広告料収入を得ていること

基本的には、②と③のケンブリッジ・アナリティカ関連が問題視され、尾ひれを付ける格好で①のデータ蓄積と④の広告収入への批判が出てきたというのが分かりやすい構図であると思います。

一刀両断的に斬ってしまえば、②と③については「明らかに」批判されてしかるべきものであり、謝罪した上で、起こってしまった理由を明確にして今後再発防止策を講じる・・・という「不祥事対応」の王道を愚直に行うことが必要、ということになります。
IT巨人たちが収集する個人情報は、その個人の嗜好、思想など、デリケートな問題を含むだけに、その管理方法の厳密さは相当程度のものでなければ社会の納得感は得られ性質のものですので、逸脱した収集、そして悪用については、問答無用で反省し、改める必要があります。最近度重なるデータ漏洩についても、ハッカー対策(ザッカーバーグは元々ハッカーだったはずなのに、です)や内部管理体制についても同様です。

しかし、俯瞰した目で見れば、②と③については、今後の叡智をもったFBの対応次第ではありますが、「越えられない課題」ではないのではない、あるいは世界に冠たるIT巨人であれば、いくらかかっても、どんな代償を払ってでも解決しなければならない課題です。もちろん、相当の困難があるわけですが・・・。

これまで講じられた対策については以下のようにメディアでは報じられています。

 ・広告およびページに対する確認強化
 ・偽アカウント5億8300万件の無効化
 ・フェイクニュース対応

などが打ち出されています。これで十分なのかと言えば、恐らくそうではなく、再発防止策については一層の誠実な対応が必要であるように感じます。

それが済んだとしての話ですが、緊急対応的な②、③よりも問題なのは、より構造的な問題である①、そしてそれに関連した④ではないかと思うのです。
と言うのも、マイクロソフトのところで書いた「儲けすぎ批判」のような人間の本性に基づく、嫉妬、嫉み、妬みといった感情に基づくものも含まれており、論理を越えた厄介なものだからです。

①については昨今社会的に非常にナーバスになっている個人情報について、あまりにもナイーブに、「寝た子を起こさない」的な方法でデータを蓄積し続けたことが問題であり、今後は利用者の納得を得られるようなルールを、明確に利用者に示す「仕組み」(見える化)を進めることが必要でしょう。欧州の厳しい基準であるGDPRに示されているような個人情報の持出しに関するルールを順守することももちろん重要です

しかしながら、こうしたある意味厳しい個人情報についての管理は、FBのビジネス=広告ビジネスの旨味を阻害あるいは制限することになることは明白です。でもそれはある程度止めを得ないことでしょう。言わば、有り体に言えば、データ管理について「調子こいて、好き放題やってきた」こと、例えば会員顧客のデータだけではなく、その友だちのデータまでFBが引っこ抜いて広告ビジネスをやってきたというようなことには制限がかからざるを得ないと言うことです。今後は、会員が納得するような「不自由なルールの下」で、FBの運営、とりわけ広告ビジネスをやっていかなければならなくなりました。

ここまでは、恐らくインターネット関連の専門家なども論じていることだと思うので、以下今後のFBの行方については、業界の「外の人」であり還暦を過ぎてこれまで多方面で経験を積んできた者として、少し大胆に独自の見方を示したいと思います。

つまり、上記②③のとんでもない失策の綻びが解消され、①④についてもビジネス範囲が狭まったとしても落としどころが見えた段階で、もうFBは「オワコン」になってしまうのか、それとも今回の蹉跌を奇貨として身を律し、再び人々の使うSNSでいられのか、そしてFBから波及したグーグル、アマゾン、アップルなど他のGAFA企業への逆風がさらに強まるのか、収まるのか、という問題についての見方でもあります。

そもそも、FBあるいはIT巨人への批判は、誰によって行われているのでしょうか?いつでも世論は大衆からのものですが、必ず大きな世論の背後には、意識的な「力」が働いています。世論としては、FBのデータ管理の杜撰さに対し、「FB許すまじ」ということだとは思うのですが、批判が出ている背後には

①この世の春を謳歌しているIT巨人への他産業、IT企業によって破壊されようとしている企業群からのバックラッシュ
②かつてはウォールストリートの、そして今回はIT企業の、「儲けすぎ批判」というポピュリズム的スローガンに乗っかろうとするトランプ政権の意図
③中国との覇権争いにおいて、貿易戦争を仕掛けてまで是正させたい中国の知財管理についてのトランプ政権の意図
④米中覇権争いの中で、個人情報管理だけでなく、「公正な、あるべき姿」独自のやり方で米国に揺さぶりをかけている欧州(例えば、「電気・電子機器に含まれる特定有害物質の使用制限に関する指令」であるRoHS指令などもこの系譜だと思います)

と言ったことが思い浮かびます。いずれにせよ、米国という国、そしてその現在の為政者でありIT企業批判を強めているトランプ政権が、今後どう出るのか、ということが最も重要なんだと思います。

結論的に言うと、「角を矯めて牛を殺す」ようなことは、いくら突拍子もないことをするトランプ政権でも、さすがにしないだろうということです。

日中の貿易戦争のキモが中国の知財政策への是正勧告であり、トランプ政権にとっては、選挙を意識しながらも、中国という国、産業を利して、自らの国、企業に不利になるようなことはしないだろうということです。
現在の米国の産業を牽引しているのは、IT産業であり、この中心にあるのがIT巨人のプラットフォームです。プラットフォームを獲っているからこその米国産業の優位性であり、これを阻害するようなことは絶対にしてはいけないのです。思想先行のスタッフよりも、実務派の台頭が著しい現在のトランプ政権は、FBを始めとしたIT巨人を潰すようなことはしないはずだと筆者は確信を込めて言いたいと考えています。

もう一つの問題は、FB自体に自浄作用があるのか、社会からの批判に対してきちんと対応して前へ進んで行けるのかということでしょう。

FB中毒でもある筆者は、基本的にFBの先行きに依然ポジティブです。
但し、FBの企業DNAは、”Don’t be evil.” のグーグルと違って、そんなに綺麗ではありません。それは、FB創業時を描いた映画「ソーシャルネットワーク」のストーリーを見ても明らかでしょう。
ザッカ―バーグと言う、プログラミングは上手で頭は切れるが、倫理観などには疑問符がつく、要するにハーバード大学の「悪ガキ」が、当初ナンパ目的で作ったサイトがFBであり、それが形を整え、「ソーシャル」なプラットフォームに発展したものが今のFBなわけです。
COOのシェリル・サンドバーグや奥さんのプリシア・チャンはかなり立派な人のようで、ザッカーバーグの良く言えばヤンチャさ、悪く言えば節操のなさも緩和されているのではないかと勝手に想像してはいますが・・・・。

では、なぜ筆者がFBを擁護するのか、それはザッカーバーグのプラグマティストとしての行動力です。今起こっていることは、FBが創業時に、調子こいてハーバード大学から半年の保護観察処分を受けたときに似ています。

今回もザッカーバーグは、議会に呼び出されたときに、何とスーツを着て現れ、話題となりました。。
かつてホリエモン氏が証券取引法違反の容疑で逮捕される前はどんな場面でもTシャツで通し、常に正論で勝負をし・・・結局有罪となったこととは対照的であるように思います。

FBは、そしてザッカーバーグは、これからも時により物議を醸しながら、存続していくように思います。あまりにザッカーバーグがコケてしまう場合は、経営者あるいは株主が変わって存続していくのでしょう。

と言うのも、FBが作り上げた「社会」は既に十分大きく、(筆者を含めた)利用者にとって欠けがいのない空間なのです。そこにある「もう一つの社会」は既に市民権を得ていて、厳然ともうそこに「ある」わけです。もちろん、広告ビジネスなどが制約されたり、といった変更は今後も起こるでしょう。しかしながら、ザッカーバーグが作り上げたこの「社会」をもう壊すことはできないのだと、多少FBの肩を持つかもしれませんが、断言したいと思います。

学生の頃、「ラヴクラフト」という米国の作家が作った異形の「もう一つの社会」について、なぜか惹かれた記憶があります。そのオドロオドロシイ世界の具体的な内容を良くは覚えてはいませんが、何だか中毒性のあるものでありました。FBは、ラヴクラフトが作り上げた社会のことを、彼の死後フォロワーたちが「クトゥルク神話」として体系化し、増殖させました。今でも一部の好事家に根強い人気があるようです。

FBはこうした異形の、ダークな社会ではありませんし、日本以外の先進国では極めてメジャーなSNSです。しかし、そもそも「社会」と言うもの、ラヴクラフトの妄想した邪な世界を交えた正と邪、明と暗が交じり合ったものとして成立するものなのでしょう。FBの作り出したSNSであるこの「もう一つの社会」は紆余曲折を経て、変容しながら存続していくように思います。

それに、今もしFBが無くなったら・・・と考えたら、どうやって「友だち」たちと交流すればいいのか、例えば面白い本に出会ったときに、誰に本のことを直ぐ言えるのか、感動したときにその思いを涙が乾かない前に伝える方法をどう新たに見つければいいのか・・・・本当に途方に暮れてしまいます。

願望も込めて、早期のFBの立ち直りを期待しています。

「インターネットの歴史から考えるインターネットビジネスの本質」連載シリーズ

第1回 「インターネットの始まり及び、この連載の狙い-増殖する生命体
第2回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その1)
第3回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その2)
第4回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その3)
第5回 「マイクロソフト」-変貌するプラットフォーマー(その4)
第6回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その1)」
第7回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その2)」
第8回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その3)」
第9回 「グーグル」-「Don’t be evil.」.(その4)」
第10回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その1)」
第11回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その2)」
第12回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その3)」
第13回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その4)」
第14回 「アマゾン」-「システム屋による建設と破壊」(その5)」
第15回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その1)
第16回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その2)
第17回 「アップル」-「ブランド価値NO.1企業の栄光と苦悩」(その3)
第18回 「フェイスブック」-「Web上の「ソーシャル」という空間の運営者」(その1)
第19回 「フェイスブック」-「Web上の「ソーシャル」という空間の運営者」(その2)
第20回 「フェイスブック」-「Web上の「ソーシャル」という空間の運営者」(その3)
第21回 「フェイスブック」-「Web上の「ソーシャル」という空間の運営者」(その4)


小寺 昇二
小寺 昇二

埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授
2014年より埼玉工業大学人間社会学部情報社会学科教授、大学院人間社会研究科情報社会専攻教授。授業担当は「e-ビジネス論」「財務管理論」「スポーツ経営」「地域経営論」「現代経済論」「現代経済史」等。ラグビーチーム一般社団法人横河武蔵野アトラスターズ監事、埼玉県深谷市総合計画策定審議会委員。NPO法人日本公共利益研究所コンサルタント。

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