「プーチンの支持率は下がっている」か?


昨今、何かと言論統制が厳しくなっているロシアではあるが、よく引き合いに出される中国と比較すると、依然として言論の自由度は大きい。その最たる例が、インターネット上でなら大統領をおちょくることが(今のところ)できるという事実であろう。
「プーチン大統領とロードオブザリングのホビットがそっくり」という定番ネタは、プーチン氏に貫禄がついてくるとあまり話題にならなくなってきたが、いずれにしてもそれを口にしたりインターネットに投稿する自由くらいは認められている。政権を皮肉った風刺漫画も珍しくない。

最近、筆者が見かけた風刺漫画は、プーチン大統領がシリアのアサド大統領と思しき人物に向かって「防空システムをあげよう。次は年金基金も作ってあげる」と囁いているというものだった。プーチン政権が財政難を理由として国民の年金支給開始年齢を引き上げる一方、シリアには惜しげもなく多額の軍事援助を行っていることを皮肉ったものだ。

それまでロシアの国民年金は男性で60歳、女性で55歳から支給されていたが、プーチン政権は今年、男性の支給開始年齢を65歳、女性を63歳とする方針を発表した。この発表はサッカーW杯の開会当日に行われたこともあり、当初はさほど大きな騒ぎにつながらなかったものの、お祭りムードが冷めるとやがてロシア全土での大規模デモにつながった。

政権の言い分は分からないではない。プーチン政権は2000年代以降、崩壊しかけていた社会保障システムの立て直しや国民の健康増進政策を推し進め、ある程度の成果を出してきた。もっとも目覚ましい成果は、ソ連崩壊後に約64歳というところまで落ち込んだ平均寿命が72.7歳(2017年時点)まで回復したことであろう。

しかし、社会保障が手厚くなり、国民が長生きになれば、財政負担は当然増える。ロシアといえども今や社会保障費は国防費を上回っており、赤字続きの年金基金への政府補填分を含めると、負担はさらに大きい。そこで国民が長生きになった分、年金支給開始を後ろ倒しにしよう…という発想に至るのは、ロシアに限った話ではないだろう。2017年には軍の反対を押し切って国防費の削減にも踏み切っていたから、国民の生活を犠牲にして軍事を優先していた、とばかりも言えない(それでも国防費は相当の巨額だが)。

しかし、真面目に働けば55歳ないし60歳から安心して隠居できると考えていた人々は、そうは受け取らなかった。一般の労働者や年金生活者の暮らし向きをよくしてくれたのがプーチン大統領だ、というイメージこそが同氏の人気の源泉であったから、年金支給開始年齢の引き上げは最大の支持層を怒らせたと言えるかもしれない。特に支給年齢を一気に8歳も引き上げられることになった女性の怒りは大きかった。

ロシア政府の態度にも問題がある。プーチン大統領を始めとする閣僚や高級官僚たちが国家の金で豪華な生活をしていることは公然の秘密だが、その一方で国民の生活に痛みを強いるのであればやはり筋が通っているとは言い難い。

特にメドヴェージェフ首相は最近、ワイン農園まで所有していることが暴露されたばかりか、年金問題で怒る国民に向けて「お金がないんです。でもみなさんは頑張れると思う」という無責任極まりない発言で火に油を注いだ。

このように、年金問題はプーチン政権にとって頭の痛い問題となっている。ただ、これが政権のアキレス腱になるとまでいるかどうかは話が別だ。

日本や欧米の報道ではプーチン大統領の支持率が従来の7割台から3割台に急落したとされているが、これはほぼ誤報に近い。というのも、後者は「次の大統領にふさわしいのは誰か」というロシアで一般的に行われる世論調査において、プーチン大統領を選んだ人が全体の約3割だった、という話であるためだ。これが「支持率」でないことは明らかであろう。

他方、一般的な意味におけるプーチン大統領の支持率は今年10月12日時点で63.2%(政府系世論調査機関VTsIOM調べ)であり、ピーク時ほどではないが決して不人気というほどではない。ロシア政府の世論調査など信用できないという意見もあろうが、民間世論調査機関のレポートも支持率の増減に関するトレンドは大体VTsIOMと一致するから、大勢としては信用してよいだろう。

また、プーチン大統領は国民の反発を受け、女性の年金支給開始年齢を60歳にするという妥協策を取った。こうした事情もあって国民の反発はある程度収まり、特に抗議デモは沈静化の傾向をたどった。10月4日に年金支給年齢引き上げ法案が可決されて以降は、関心も急速に薄れている。

国民に不人気な法律でも、一度通ってしまうと忘れられるのは意外と早い、というのはどこの国にも共通する傾向であろう。プーチン大統領といえども国民に痛みを強いればそれなりの反発を受けることはたしかだが、欧米の一部やロシア国内の反体制派が期待したように大規模な反体制運動にまでつながることはなかった。プーチン大統領という人物には敵も多いが、その支持基盤はさらに厚い。このあたりは、ドナルド・トランプという人物のしぶとさと重なる部分も多いように思われるのだがどうだろうか。


小泉悠

未来工学研究所特別研究員
1982年、千葉県生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了後、民間企業勤務、外務省国際上統括官組織専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員などを経て現職。専門はロシアの軍事・安全保障政策、宇宙政策、危機管理政策など。主著に『軍事大国ロシア』(作品社)及び『プーチンの国家戦略』(東京堂出版)、鼎談をまとめた『大国の暴走』(講談社)などがある。

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