【若者たちが創る、“異彩のキャリア” 】第2回:自分で考え、自分で選ぶ/奥間 蓮(非大卒人材 vol.01)前編


若い世代が元気ないと言われますが本当にそうでしょうか?日本の未来は暗いから、若者の未来も暗い?
いえいえ、日本には異彩を放つキャリアを歩みだしている若い世代が生まれています。その中でも、キラリと光る人たち。こうした人たちのキャリアストーリーを独占してしまうのは、もったいない。私たちは、そうしたキラリと光る若い世代のストーリーを発信していきます。

第1回の今回は、「とび職」から「経営コンサルタント」になった奥間さんです。

聞き手・書き手
一般社団法人スクール・トゥ・ワーク 代表理事 古屋 星斗

古屋(インタビューワー):
今、コンサルタントとして東京で働いている奥間さんですが、その前は東京のベンチャー企業でインターンをしていて、さらにその前は大阪でとび職をやっていたと聞きました。22歳の日本人としては、異色のキャリアだと思います。地元の新聞やWEBメディアなどでも、奥間さんの経歴について取り上げた記事がアップされているのもうなずけます。

今日はそんな奥間さんの“原点”、“転機”と“悩み”を聞きたいと思っています。今、奥間さんがここにいる。その最初の引き金になった体験ってなんでしょうね。

人生を変える授業に高校で出会う

奥間:
沖縄の高校出身だったのですが、青年海外協力隊で発展途上国への支援活動をしていたスタッフが活動の様子を放課後に話をしに来たことがありました。今思えばあの課外授業で話を聞いたことが自分の人生を変えるきっかけになったと思います。
高校一年生まで本当に全く勉強をしたことがなかった僕でしたが、その話をきいてからは、「自分もこの人みたいに海外へいって社会貢献をするんだ!」と思い、それからは“英語だけ”を勉強し始めました。あの人のようになりたい。その一心で、be動詞から勉強を始めたことを覚えています。

高校三年生に上がるころ、大学に行く選択肢が自分の中にはありました。しかし、知っている先輩で大学に行っている人を見ても、毎日クラブへ行ったり、コンパをしたりと、大学に行かなくてもできることをしているだけ。ならば自分の夢の最短距離を目指そうと思い、海外の大学への留学を前提とした語学学校に通おうと決めたのです。

その学校は大阪にあったので、日ごろはオンラインで授業を受け、月に1、2度は大阪に飛行機で行っていました。今まで出たことがなかった沖縄。月に1回であってもそこから出るというのは自分にとって大きな挑戦でした。

人生最大の転機

奥間:
何か月か過ぎた頃。父の知人で大阪に居住する方が、苦労して飛行機で通学している僕のことを聞きつけ、「うちで預かっても良いが」と父に連絡をくれました。その話を聞いた僕は、悩みました。それは、身一つで沖縄を出る、という決断でもあったためですが、最大の理由は我が家の家庭環境にありました。我が家は8人兄弟です。上に二人の姉がいますがすでに家を出ています。自分が長男であり、弟・妹たちの面倒を見るのは自分だ、自分が家を出たら誰が5人の弟・妹の面倒を見るんだ、という気持ちがあったのです。その時一番下はまだ、小学1年生でした。

話を聞いてから数時間は本当に迷いました。でも、考えれば考えるほど今諦めたらこの先もこのまま何にも挑戦できなくなっていくだろうなという気持ちが強くなりました。元々、考えることがそれほど得意じゃなかったんです(笑)。だから、直感的にこの強くなっていく気持ちはホンモノだろうと(笑)。でも、人生も家族もかかっているので、セカンドオピニオンを求めることにしました。すぐに、友人たちを呼んで聞いたんです。でも聞いた時点で自分のなかでは答えは出ていましたね(笑)。

友人たちは自分がやりたいことをやった方がいいと応援してくれました。あの夜の光景は、今でも4Kテレビのように、鮮やかに思い出すことができます。

古屋:
高校一年のとき課外授業で聞いた話へのワクワク感。一度きりの人生だし、それを追いかけてみようと思ったのですね。新天地での暮らしはどうだったのでしょうか。そしてその後留学はできたのでしょうか?

奥間:
大阪へ行ってからは、月に一回の通学ととも下宿していた家の子どもから“とある仕事”をやってみないか、と紹介されました。それは、“とび職”でした。皆さんは鳶のしごとにどのようなイメージがあるでしょう。仕事がキツそう?上下関係が厳しそう?僕がお世話になった職場は、仕事内容は肉体労働だけに厳しいものでしたが、人に恵まれていたのもあり、皆さんがイメージされているような、過酷で厳しいだけのものではなく、とても充実したものでした。親方もガンガン突き進むというよりは、冷静でクールな人。憧れでした。仕事が終わったあと、月に一回は大阪のまちに美味しいものを食べに連れて行ってくれたこと、特にその時に食べた焼肉の味は一生忘れないと思います。

そんななか月に1回通っていた学校では12か月の座学プログラム後に留学に行くことになっていました。座学プログラム終了があと2か月ほどに差し迫るタイミングで、海外留学するには莫大な費用が必要になるという“事実”と“自分の現実”を目の当たりにして、留学を諦めざるを得なくなりました。

入りは留学のための資金集めの感覚で始めたとび職でしたが、その後結局丸々2年間ほど勤めることになりました。今でも親方は人生の恩人だと思っています。

「若者たちが創る、“異彩のキャリア”」連載シリーズ

第1回 「人生を変える授業、はじめます」


一般社団法人 スクール・トゥ・ワーク
一般社団法人 スクール・トゥ・ワーク

一般社団法人スクール・トゥ・ワーク(代表者:代表理事 古屋星斗)
学生及び非大卒人材に対するキャリア教育事業等を展開しています。キャリアを選択する力の育成を通じて、未来を生きる若者全てが安心・納得して働き、その意欲や能力を十分に発揮できる社会の実現を目指しています。

一般社団法人 スクール・トゥ・ワークの記事一覧