通勤手当が「痛勤」を助長する


欧米の諸都市を歩いてみても,大都市を抱えるアジアの諸地域を訪問してみても,都市と田園(あるいは農村地帯)の境目はくっきりしている。歴史あるヨーロッパの町では,城壁で囲まれた旧市街の外側にも市街地が発展しているが,電車や自動車でちょっと走れば田園風景が広がる。スプロールが深刻で多心型になっているバンコクやマニラのような大都市ですら,意外と農村部は近くにある。しかしながら,日本は違う。特に,東京圏は際立っている。

東京タワーやスカイツリー,あるいは都庁の展望室にのぼって外を眺めると,視界の限り市街地が広がっているし,東京駅から鉄道に乗ってみても,1-2時間を過ぎても街並みが続いていることを実感する。東京は,広大な後背地を圏域内に取り込みつつ成長してきた都市であるが,現在転換期を迎えている。

写真 都庁展望室から西を望む

出典)著者撮影。

東京圏が国際的にみてどれだけ郊外化が際立っているか,概観してみよう。図1は,世界都市として並び称されるニューヨーク,ロンドン,パリと東京の昼夜間人口を比較している。東京は業務中枢地区(CBD:Central Business District)と考えられる都心4区(千代田,中央,港,新宿)の総面積60.5㎢で,地域は異なるが山手線の内側の面積とほぼ同じである。

ニューヨークは,マンハッタン区の総面積61.4㎢を示している。ニューヨークのCBDは,マンハッタンの南半分であるが,統計データの都合でこのようにした。

ロンドンは都心4区(City of London, City of Westminster, Kensington & Chelsea, Camden)の総面積59.4㎢を示し,前2市と面積を符号させている。

パリは,都心12区(1区~12区)の総面積45.4㎢としている。パリ市は20区全体でも,105.4㎢と市域が狭く,東京の都心4区に文京,品川,渋谷の各区を合わせた面積とほぼ同じなのであるが,エスカルゴの渦のように中心から番号が付けられた区の中心11区に時計の4時の方向にある12区を加えて他の3大都市と面積を合わせた。

図1 都心の昼夜間人口の比較(東京,ニューヨーク,ロンドン,パリ)

【出典】住民台帳,東京都総務局統計部人口統計課資料,US Census Bureau, State & County QuickFacts, Mid-Year Population Estimates, NOMIS Official Labor Market Statistics, Institut National de la Statistique et des Études Économiques, Chiffres clés sur un territoireの数値より筆者作成。

近年の都心回帰によって東京の都心人口は増加してきてはいるが,ニューヨークと比較すると夜間人口は半分である。ニューヨークの昼夜間人口比率が2.0倍であるのに対して,東京は実に3.7倍で昼夜間格差が激しい都市圏であることがわかる。ロンドンは,夜間人口は170万ほど東京より少ないが,都市圏内で業務機能が分散しているので,昼夜間の比率は1.7倍で昼間の都心への流入人口は少ない。パリは,都心部の昼夜間人口は逆転しているが,高度に都心に人口が集積している街で,パリ市全体の人口密度をみると21,347人/㎢で,マンハッタンの27,117人/㎢と近い水準である。

上記の先進都市のみならず,近年急速な発展を遂げ,今や地下鉄網では路線延長世界一(東京は路線延長では世界7位だが,利用客数では世界1位である)を誇る上海もみてみると,市の総面積6340.5㎢に常住(夜間)人口が2,419.7万人で,都心4区に陸家嘴を含めた都心部48.6㎢には200万人以上が住んでいて,人口密度も4万人/㎢以上の高密度な構造である。

こうしてみると,東京の都市構造の特徴は,都心人口は少ないが都心へ就業するために通勤する人口は多く,広大な都市近郊から極めて多くの人口が昼間に流入してきているということである。都心が低密度であることは,建物の高さをみてもわかる。東京区部の平均使用容積率は136%,都心4区でも332%であるのに対して,ニューヨークのCBDでは1,429%,セントラルパークの東側の住宅街でも631%となっている。六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズなどを開発した森ビルが,「東京は水平方向には過密であるが,垂直方向には過疎である」としばしば表現しているのも頷ける。

図2 東京圏における通勤所要時間帯分布

【出典】国土交通省『第12回大都市交通センサス』2017年より筆者作成。

図3 東京圏における通勤先への代表交通手段の構成比

【出典】東京都市圏交通計画協議会『第5回東京都市圏パーソントリップ調査』2008年より筆者作成。

毎日514万人が圏域内から東京区部に通勤手段として鉄道を使って流入しているが,こうした都市構造のため,東京圏に住む住民の通勤時間は全国平均の約2倍掛かっており,平均で片道67.7分である(ちなみに,通学時間は通勤より長く78.1分)(図2参照)。この時間は,1995年からほぼ横ばいで推移しており,平均的なサラリーマンは1日往復2時間15分の通勤をしている。

図3は,東京圏における通勤に用いられる移動手段の中で代表的な手段の分布である。全体の54%が鉄道を利用している。これは,ニューヨーク,ロンドン,パリの2倍から3倍の割合を占める。さらに,東京都心部へピーク時(07:00-09:59)に通勤する人に絞ると,実にその9割は鉄道を利用している。その内,自宅から駅までと,駅から勤務先まではそれぞれ平均10分程度を掛けており,駅での待ち時間は全体の5.8%となっているので,1日約90分は電車に揺られている計算になる。

その車内通勤環境は,コーヒーでも飲みながら新聞や雑誌を拡げて読んで過ごせるのであればゆとりある読書時間にもなろうが(実際,筆者が米国プリンストンに在住時はニューヨーク市内への片道1時間の通勤はこれでした),混雑率200%近い車内ではスマホの画面を読むのも憚れるかもしれない。この混雑率という指標もカラクリがあって,座席数と同じだけの人数が立っているというわけではなく,座席が満席になり,吊り革やドア付近の柱に掴まることができる定員乗車の状態を100%と言う。山手線に用いられている車両の場合だと,座席に座っている乗客数の2.5倍の立客があっても100%と見なされている。これは諸外国の定義とはかけ離れている。200%は,体が触れ合い,相当な圧迫感があるが,週刊誌なら何とか読める程度という。この状態の毎日90分は明らかに「痛勤」であろう。この痛勤を強いているのには,いくつか要因がある。

東京圏が際限なく外延化しているのは,ロンドンに準えて郊外の開発抑制のためのグリーンベルト保全に失敗した都市計画の破綻や戦後の持ち家政策を基調とした住宅政策の特質,さらには鉄道敷設とリンクした交通政策(本サイト「ターミナルの駅舎は隠される」参照)との関連が指摘されているが,この解説には紙面の余裕がないので,識者がほとんど言及することのない以下の視点に絞ろう。

通勤手当の支給構造が,都市圏の無秩序な拡大を招いている。企業の福利厚生制度における住宅支援として,社宅や寮などの提供,住宅資金融資,家賃補助などの住宅手当の支給と通勤手当の支給があるが,住宅の提供や融資は受給者が限定的であるのに対して,手当はほぼ全従業員に適用され汎用性が高い。住宅手当の支給は,全国の全産業で42.6%の企業しか支給していないが,通勤手当の支給は全産業の99.1%の企業に支給制度が整備されており,管理職も含めてほとんど全員が手当として支給対象になっている。企業規模や種別で大きな隔たりは観察されていない。パート・アルバイトにも65.1%が支給されている。新幹線通勤を除いて,支給限度額が設定されていない会社は57.4%で,設定されている企業の限度額の平均は80,900円である。

一方,住宅手当の支給額の平均は,17,000円で,通勤手当の支給額の平均は,11,462円となっている。住宅手当は企業規模で約5,000円,35%の格差があり,大企業が厚く手当てしているに対して,通勤手当は企業規模での格差は約3,000円となっている。一方,通勤手当の支給額の差は,おそらく企業の支給能力の違いから生じているのではなく,近隣に従業員が住んでいる傾向の強い中小企業と遠距離通勤者を抱える大企業の違いに起因していると考えられる。

また,通勤手当については,社会保険料の徴収対象にはなるが,個人にとっては課税所得から除外されており(月額10万円まで非課税),企業にとっては欠損処理することが可能な控除対象である。さらに定期乗車券利用により通常の運賃よりも割引価格が適用されるという鉄道会社の優遇措置が付加されるため,企業の立地に近く住むことよりも,長距離通勤(多額の通勤費)を伴っても低廉な住宅を取得することを支援する税制になっていると考えられる。

この定期乗車券の優遇措置は,なかなかアイロニカルにできている。現在,JRでは乗車距離や定期券利用期間により割引率は異なるが,JRでは50%から60%の割引率であるのに対して,私鉄各社は30%から40%の割引率の幅に概ね納まっている(定期券が普及したのは1920年代以降と言われているが,1930年代には70%から80%の割引率であった)。鉄道の設備や要員は,朝のラッシュ時に対応するために投資・投入されており,この経費が基準になっている。現在,おおよそ40%の割引率の定期券利用者が乗客の7割を占めているので,定期券を利用していない3割の乗客が経費全体の約半分を負担している計算になる(沿線が拡張していた時代に遡ってみれば,75%の割引率の定期券利用者が7割だとして,3割の乗客が経費の6割を負担してきたことになる)。

長距離通勤が通勤手当と連動しているのは,新幹線通勤の定期券旅客は4,700万人(2015年)に達していることからも窺い知れる。ともあれ,通勤手当の支給は,全国で広く浸透しており,最も利用されている住宅関連の支援制度となっていることがわかる。ほとんどの企業が通勤手当を支給し,それが従業員にとっても非課税で,支給する企業にとっても控除対象となっている例は,欧米でベルギーに類似制度がみられるくらいで,世界的にも極めて珍しい施策である。

したがって,通勤では,都心に近く地価の高額の住宅に住むと通勤費は低額で済み,郊外の地価の低廉な住宅に住むと逆に交通費は高額になって,両者はトレードオフの関係になり,所得に応じた均衡点を見つけて適切な場所(経済合理的)に住居を見つけることになる(特に,都心部は自治体運営の都市交通のため運賃が低く抑えられている場合が多い)。

一方,交通費の上昇は従業員の経済的負担にならないとなると,単に通勤の時間と労力のコストのみを通勤者が負担すれば良くなるので,住居の延伸化は時間コストの体力的限界にまで進むことが可能になり,都市圏のスプロール化も極めて広範囲に進攻していくこととなる。

一見,通勤手当は勤務員の家計を助けているようにみえるが(同時に,鉄道会社の経営にも寄与している),もしこの手当そのものとこれを支援する国策がなかったならば,都市圏はもっとコンパクトにまとまっていたはずであるし,「痛勤」はもっと軽症で済んだであろう。郊外化は,新たな社会基盤の投資にも繋がっているので,通勤手当をそろそろ見直しても良い時期だろう。


鍛冶智也
鍛冶智也

明治学院大学法学部教授。専門は都市行政。
国際基督教大学大学院行政学研究科修了。東京市政調査会(現・公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所)研究員を経て,現職。国際連合本部経済社会開発局コンサルタント,行政研究所(米国ニューヨーク州)客員研究員,ホープカレッジ(米国ミシガン州)招聘教授,プリンストン大学公共国際問題ウッドロー・ウィルソン・スクール(米国ニュージャージー州)客員フェロー等を歴任。東京都,港区,三鷹市,川崎市,小諸市など多くの自治体や国土交通省など国の審議会や委員会の委員等に就任。

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