政策シンクタンク論・第3回 政党シンクタンクの設立



(写真:自民党本部HPから引用)

1.はじめに

前号で記したように、筆者は、東京財団での実践からも、日本における民間非営利独立型のシンクタンクの可能性と重要性を実感した。またその活動を通じても、「日本社会を変えられる。日本もまだやれる!」と痛感したものだ。

他方、同財団で活動していた時に、日本が民主主義という政治制度を採用している以上、一部の人財がどんなに良い政策をつくっていても、それだけでは十分でないということも感じ始めた。つまり、国民なり市民自体も政治や政策を理解しないと、国や社会の運営をできないということである。その点から、当時、政治教育・市民教育・有権者教育にも関心を持つようになったのである(注1)。

さて、話は前後するが、東京財団は、竹中平蔵氏が入閣後に、その組織や運営に大きな変更があり、筆者も様々な思いがあったが、同財団を離れることになった。

2.新たなる挑戦

筆者は、その後も、多方面で政策シンクタンク設立の可能性を模索したが、なかなか新しい可能性は見つからなかった。その模索活動の一つとして、有識者と超党派の議員たちで「シンクタンク研究会」を開催して、日本に新しい政策シンクタンク設立を検討した。その研究会では、資金面も含めて政策シンクタンクの構築は難しいという現実に直面するが、他方でその中から、政党が政策シンクタンクをつくるという動きが生まれてくることになった。

そのような政党シンクタンクが、2005年以降、自民党および民主党(当時)で設立される。それには、当時の時代背景があったのである。

90年代以降、縦割り主義や前例主義の行政中心の政策形成(注2)では、社会が大きく変貌し、前例のないブレークスルーを生み出すことは困難であり、その状況を乗り越えるため、政治主導の必要性が叫ばれてきた。だが現実には、内閣提出法案などの行政主導の政策や法律作成が行われていた(議員立法が増えてきているという変化はあるが、残念ながら、現在もいまだそうである)。その状況を少しでも改善、脱却する一つのアプローチとして、政党シンクタンクの設立が当時構想されたのである。特に当時は、比較的新しい議員が中心となり、自民党および民主党の両党で、行政に頼らない、あるいはその状況に変化を与える政策形成システムの構築として、その構想の実現化が試みられたのである。

筆者は、先に記したように、「民間非営利独立型シンクタンク」の設立を相変わらず模索していたが、それはなかなか困難であるという現実にも直面していた。そのような中、筆者は、両党からその政党シンクタンクの設立に関わってほしいとの引き合いをいただいた。そうであるならばということで、現実主義者として、与えられた可能性に挑戦してみることにしたのである。

3.なぜ自民党シンクタンクを選択したのか?

しかしながら、当時政権獲得を競争し合っていた両政党の政策シンクタンクを引き受けることは当然にできない。そこで、筆者は、次のようなことを考えたのである。

・両党は、政権死守・獲得・交代を目指し、競争し、政権交代の可能性が生まれつつあったが、当時民主党は政策志向が強かったが、自民党は相対的には必ずそうではなかった。その意味では、民主党の政策シンクタンクは、筆者以外の方が運営しても問題はない。自分は、自民党の政策シンクタンクで活動し、政策案を出し、民主党のそれと切磋琢磨できる構図を創ることが、日本の民主主義にとって、より重要であろう。

・政権与党として、政権与党として実際の政策形成に直接関り、その実現と政策シンクタンクの活動の成果を的確にリンクさせ、日本の政策形成に変革をもたらそう。

以上およびその他の面も踏まえて、自民党の政党シンクタンク設立に関わることを決めて、2005年4月から自民党本部で勤務することになったのである。

勤務してわかったことは、議員や職員もさまざまな考えや立場の方々がいて、政党シンクタンクの設立に関して、同党で一致した見解ではなかったということである。それは、筆者が、同党に勤務する前に、関係議員たちから伺っていた状況とは大きく異なるものであったということだ。そのことは、自民党の政策研究機関である「シンクタンク2005・日本」が、2006年3月に設立されるまでに、その設立が何度も暗礁に乗り上げ、頓挫しかける状況を生み出すことになった。

だが、いずれにしても、当時は、小泉政権がダイナミックに躍動し、国民は政権を強く、大きく支持していた。その結果が、自民党の「郵政民営化選挙」での大勝に結びついた。そして「改革なくして成長なし」という政権のキャッチフレーズ通り、世は正に「改革」の時代であり、日本社会も変革が可能だという、高揚感があった。そのような状況のなか、改革を止める者は、既得権益者と呼ばれ、改革こそが必要だという流れの中において、自民党内でも、改革派が力を得て、彼らが推し進めた自民党の政党シンクタンクも、紆余曲折ながらも、設立されることになるのであった。

4.政党シンクタンク設立の意味することとは?

同シンクタンクは現在閉鎖され存在しない。だが、これまで述べてきたように、同研究機関は、1990年代以降の政治改革および政治不信の高まりの中で生じた改革への機運およびそれに対する国民の支持から誕生した仕組みであり、その時代の寵児であったといえるであろう。

別の言い方をすれば、時代の要請があれば、変わらない日本でも、新しいインフラや仕組みを生み出すことができるといえるということである。

(注1)その考えが、書籍『シチズン・リテラシー』(教育出版、2005年)の出版などにも結び付いていく。
(注2)そのような政策作りに対して、行政およびそれに依存する与党自民党を中心とする政治への不信感も当時高まっていた。それが、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉政権への国民の強い支持やその子の2009年における民主党により政権交代につながっていくのである。


鈴木崇弘
鈴木崇弘


城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科教授および「教育新聞」特任解説委員。宇都宮市生。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センター奨学生として同センターおよびハワイ大学大学院などに留学。東京財団の設立に関わり同財団研究事業部長、大阪大学特任教授・フロンティア研究機構副機構長、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり同機関理事・事務局長、法政大学大学院兼任講師、中央大学大学院公共政策研究科客員教授、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)事務局長付、厚生労働省総合政策参与などを経て現職。91年―93年まで 米アーバン・インスティテュート兼任研究員。PHP総研主席研究員、日本政策学校代表、Yahoo!ニュースのオーサーなども務める。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。主な著書・訳書に『日本に「民主主義」を起業する…自伝的シンクタンク論』(単著)、『学校「裏」サイト対策Q&A』、『世界のシンク・タンク』(共に共編著)、『シチズン・リテラシー』(編著)、『アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法』(監共訳)、『Policy Analysis in Japan』(分担執筆)など。現在の専門および関心分野は、公共政策、民主主義の起業、政策インフラの構築、新たなる社会を創出していける人材の育成さらに教育や統治における新システムの構築。

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