コンパクトか?エッジか? 都市の成長と衰退


パウダーファンデーションのケースの話ではありませんし,スケート靴の議論をしたいのでもありません。都市が成長(衰退)する過程の構造が今回のテーマです。でも,だらだらと冗文にならずコンパクトに,エッジの利いた話になるように心掛けたいのですが...

2018年12月,埼玉県深谷市内の1984年に廃校になった旧市立小学校の体育館と敷地1,500㎡の市有地が一般競争入札に掛けられ,マイナス795万円で落札された。市の見積もりで体育館の解体費が土地の評価額を上回ったため,予定価格をマイナス約1,340万円に設定した上での落札となった。市が落札者にマイナス分の額を支払う一方,落札者が建物の解体費を負担することになっている。公有地がマイナス価格で落札されるのは全国で初めてである。ゴミの埋立地や危険物置き場などの跡地で土壌汚染対策を施さなければならないような土地ではないのにもかかわらず,東京圏近郊の垣根に囲まれた庭を有する一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅街にある土地の実勢価格がマイナスになったというのは,土地を所有しているだけで銀行から融資してもらえたバブル期以前を知る人々にとっては,相当ショックな話になろう。

土地の所有が最良の資産であった時代は終焉し,場合によっては「負動産」化することもあるし,相続に際して土地を放棄する例だって,もう稀ではない。「閑静な」だけの住む機能しかない住宅街は,高齢化が進行し,衰退の一途を辿り,資産価値は相対的に下落してきている。

東京圏では,1960年以降の高度経済成長期に,都心周辺から郊外にかけて開発が進み,市街地が拡大し,居住機能に特化した市街地が形成されるようになる。これと並行して,土地利用のスプロール化と共に長距離通勤,通勤混雑が顕在化したため,都心部への通勤需要に対する高密な公共交通機関ネットワークが整備されるようになる。そして,広範囲の市街地開発の結果,

①都心部:業務中枢機能が集中,
②都心周辺部:密集市街地域や公共施設整備の不備,
③郊外部:ニュータウン開発等による居住機能特化型の新市街地形成,
というような同心円状の都市構造が拡大形成され,
④都市近郊部:都市圏に編入されるようになった。
さらに,都心部の業務機能が拡大され,除々に周辺の核都市に部分的な機能展開がなされるようになる。そして「日本の国土は狭いので地価が高い」「都市部は既に飽和状態なほど窮屈」「都心部は生活環境が良くない」という事実とは異なる”土地神話”が生まれることなった[似たような状況は,アジアの各地でも起きている。都市部と農村部の境界をどのように管理するかは,都市計画の中心課題の一つであるが,多くの地域では農村地域を「どのように市街地化するか」という論点に掏り代わっている。2017年5月に上海で「境界地域の都市化(peri-urbanization)」に関する国際会議に招待され,日本の縮小都市の現状と課題を報告したが,他のアジアの諸都市の関心は,当然にもっぱら「拡大」にあった。ただ,主催者でもあるアメリカの研究者は将来避けて通れない重要な視点であると同調してくれた]。

戦後の住宅政策の基調は,持ち家政策である。なかでも,住宅金融公庫の融資は,日本の経済政策と福祉政策に密接にかかわって持ち家政策のエンジンの役割を果たしてきた。高度経済成長期は,インフレが続いていたため,持ち家取得のためには多額のローンを組んで返済しなければならないが,所得も年齢と共に上昇し続けたので,住宅ローンの債務は実質的に減少することになる。加えて,バブル崩壊までは土地神話によって地価は上昇をし続け効率的な資産形成の手段となっていたわけである。同時に,持ち家という不動産資産を保有し,ローンを完済した高齢者は,住み続ければ住居費は維持費のみに限られるし,場合によっては,売却によって老後の生活のための資金調達が可能になり,増大する社会保障費を圧縮する手法にもなっていたわけである。

東京圏における主たる住宅政策の供給地は,戦後からバブル崩壊直後までは,「郊外」が中心であった。郊外とは「都心周辺地域に広がる都心に通勤する人びとの居住に特化した地域」であり,東京圏で言えば,おおよそ東京の市部である多摩地域と近隣3県(神奈川県,千葉県,埼玉県)(の市街化地域)である。東京圏の新設住宅戸数の都県別の割合をみると,1955年には東京都内の住宅供給割合が63%であるのに対して,近隣3県の割合は37%であった。この時点では,東京区部が住宅供給の中心であったことがわかる。

一方,バブル崩壊直後の1993年の時点では,両者の関係は逆転し,東京都が33%,近隣3県が67%となった。都市圏が拡張していたことがわかる。しかしその後,都心回帰がおこり再び東京都の新規住宅供給が多くなり,2017年には東京都が44%,近隣3県が56%になっている。住宅供給の中心が都心周辺から郊外に移り,再び都心やその周辺に戻りつつあることがわかる。東京をニューヨーク,ロンドン,パリの4大都市間で比較してみると,郊外の人口密度は,東京はニューヨークの7.6倍,パリの9.2倍以上,ロンドンの5.0倍となっており,東京における都心部の夜間人口の過少と郊外人口の過大と延伸化は際立った特徴になっている(本サイト「通勤手当が「痛勤」を助長する」参照)。

図1 都内自治体の人口の推移

【出典】国勢調査の数値より筆者作成。

東京都内でも都心からの距離により人口増加の時期が異なる様子をみてみよう。図1は,都心である港区,郊外から次第に都心周辺部に編入された三鷹市,都市近郊から郊外に位置づけられる地域にもなる青梅市と郡部町村(瑞穂町,日の出町,檜原村,奥多摩町)の人口推移である。容易に比較できるために人口規模の近似している自治体を選んでいる。港区は,1995年までは人口は減少し続け,その後V字回復している。三鷹市は,1975年までが急増期で,以後漸増し,近年は停滞している。青梅市及び郡部は,1970年代から2000年までが急増しているが,以後漸減している。

図2-1

図2-2

図2-3

図2-4

図2-5

図2-1から図2-5までは,東京圏の人口動態のイメージ図である。同心円状の中心円は都心,その外側の円は都心周辺部,その外側は郊外,一番外側は都市近郊を示している。都市圏は時期によって拡大してきているので,実際は同心円の大きさは変化するのであるが,モデル化のために同じにしている。人口密度が高いほど赤が濃く,密度が低くなるに従って薄い色で示している。昼間人口が多いわりに夜間人口が少なく空洞化が進んでいることを示すために薄い青で記している。都市近郊の外側は,必ずしも緑地になってはいないが,便宜上緑色で示している。図2-1が戦後まもなくであるとすると,2-2,2-3,2-4と時代を経て,図2-5は2000年以降の状態である。

図3 東京圏におけるライフステージ毎の住居シフトの典型例

図3は,2000年頃までのライフステージ毎の典型的な居住地をモデル化したものである。大学を卒業し,都心の企業に就職して実家から出て自立した場合,最初の居住地は狭いながらも生活と就業の利便性を考えて都心周辺部にワンルームを借りる。山手線のちょっと外側辺りであろうか。結婚と共に共働きでダブルインカムになるので都心の方に転居する。子どもができると勤務者と主婦(主夫)の分離と職住のさらなる分離が進み,郊外に移転。子どもが大きくなったり,二人目ができたりすると広い居住空間と「自然」を求めて都市近郊の一軒家を目指す,という変化を簡略化し図示している。社会生活と家族の充実化が進展するに従って,居住地の郊外化が進んだのが,戦後からミレニアムあたりまでの東京圏の典型的なライフモデルであろう。

しかしながら,2000年以降,東京圏の都市構造は大きく変化してきている。前述のように,人口が都心にシフトしてきているだけでなく,都市圏の急速な縮小が始まっている。三大都市圏(東京,大阪,名古屋)に住む一人暮らしの高齢者が,2000年以降の15年間で2.1倍の289万人に達し,2015年に初めて世帯全体の1割を突破した。東京圏では,東京駅から直線距離で40㎞から50㎞に位置する帯状の地域一帯では,15年間に65歳以上の単身高齢者が軒並み2.5倍以上に増加している[実はこの帯状の外側(都市近郊50~100㎞圏)を緑地帯として保全しようと1958年に首都圏整備基本計画が策定されたが,宅地化を期待する近郊農家の地主層が政権政党である自由民主党と連携して激しい反対運動を繰り広げたために頓挫する。歴史にifはタブーだが,もしこの時グリーンベルトが実現できていたら,都市圏の縮小はもっと穏やかになっていたであろう]。高度経済成長期に団塊世代が持ち家を求めた郊外地域に,急速に高齢化・独居化が進んでいる(詳しい地図情報は,日本経済新聞の「ひとり暮らしシニア増減マップ」https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/elderly-single-dwellers-map/#7/139.5703/35.9380/を参照)。

冒頭に記した深谷市は,東京駅から66㎞に位置する都市近郊地域であるが,2000年から2015年の15年間で人口は7,884人,6%増加し,世帯数も15,170人,40%も増加しているにもかかわらず,老年人口が11.65%から26.02%になっており,人口増にもかかわらず世帯が少人数化し,4人に1人が高齢者となっている。冒頭の事例は,こうした状況で発生した「土地の塩漬け」である。都市圏の縮小は,人口の増減だけをみていたら理解できない。

東京の大都市圏の人口構造の概要は,以上のような変化を示している。しかし,これは巨視的な変化でしかなく,圏域内を子細にみれば,均質に縮小しているのではなく,放置すれば空き地・空き家が虫食い状態に増えていき,不均等に密度が低下していく様相を呈している。

図4 年齢別にみる住宅種別・立地の嗜好

【出典】リクルート住まいカンパニー『住宅購入・建築検討者調査』2017年、内閣府『住宅に関する世論調査』2004年

図4は,住んでみたい住宅種別と立地を年齢別にみた数値である。共に「どちらかというと」と「ぜひ」の回答数値を合算している。全世代にわたって郊外の一戸建て志向であるのだが,一戸建てに関しては年齢が若い方に志向が強いのに対して,立地に関しては年齢が高い方に志向が強い。統計的には,20歳代で2割ほどが「都心の一戸建てに住みたい」と考えている。いずれにしても,「郊外」の「一戸建て」志向が強く,大多数は高度経済成長期の価値観をまだ強固に温存している。

図5-1 エッジシティの形成

図5-2 エッジシティ

こうした志向により,大都市郊外・近郊には住宅地が拡大し,幹線道路沿いに大規模な駐車場を備えたオフィス,商業施設,娯楽施設が整備されるような「エッジシティ」が形成される。旧来の中心市街地は寂れ,周縁地域(エッジ)があたかも都市機能の中枢を担うようになった状態を指し,米国ワシントンポスト記者ジョエル・ガロー氏が同名の著書(1991年)で命名したものである。日本でも,こうした特徴を有した地域は多くみられる。人々の生活志向に沿った街の形成であるのだが,低密度の都市圏が広く,日常的な移動距離は長く高齢者には優しくないだけでなく,インフラストラクチャーの維持管理が高くつき,高齢化する人口縮小期には問題点が多い。

図6-1 コンパクトシティの形成

図6-2 コンパクトシティ

こうした点を改善するために,周縁地域の都市開発を抑制し,地域の公共交通を連動させて(図では白線で記している),都市機能を旧来の中心市街地の活性化によって復活・再編させるコンパクトシティの実現が提唱されるようになった。人口の縮小と共に,都市の規模も縮小させるという発想である。その際,住民の居住地域を中心部に誘導する「立地適正化計画」と交通の再編を進める「地域公共交通網形成計画」を一体的に策定,実施することが期待されている。今日の日本では,420の市町村がコンパクトシティを推進すると表明しており,全国の市区町村1,741(市792,区23,町743,村183,2018年10月現在)の24%が取り組んでいる政策ではあるが,2つの計画を策定している自治体はわずか11%に過ぎず,立地適正化計画のみは13%,地域公共交通網形成計画のみは21%,いずれも策定していない自治体が55%と,財政難も伴いこちらも実効性に関して課題が山積している。

ライフスタイルの嗜好と志向に合わせた「自然な」街づくりであるエッジシティにも,都市縮小時代の未来を見据えた「計画的な」街づくりであるコンパクトシティにも,それぞれ固有の課題があるのだが,愛着が沸き周辺に嫉妬心を引き起こさせない都心に再活性化し,周縁を整理することによって,都市が終焉しないような知恵が必要になっている。


鍛冶智也
鍛冶智也

明治学院大学法学部教授。専門は都市行政。
国際基督教大学大学院行政学研究科修了。東京市政調査会(現・公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所)研究員を経て,現職。国際連合本部経済社会開発局コンサルタント,行政研究所(米国ニューヨーク州)客員研究員,ホープカレッジ(米国ミシガン州)招聘教授,プリンストン大学公共国際問題ウッドロー・ウィルソン・スクール(米国ニュージャージー州)客員フェロー等を歴任。東京都,港区,三鷹市,川崎市,小諸市など多くの自治体や国土交通省など国の審議会や委員会の委員等に就任。

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