観光危機管理新時代「観光危機管理から考える東京2020のレガシー」


1.国境を超えて移動する観光客の増加

世界観光機関の発表によると、2014年に世界の国境を超えた旅行者は、前年から約5000万人増えて、11億3800万人となった。国際観光客の増加率は、5年連続で世界のGDPの成長率を上回り、観光は世界の経済成長を牽引する産業となった。世界の観光が急速に成長し、国によっては国全体のGDPの3分の1を観光産業が生み出し、また、世界の雇用の11人に1人が観光関連となり、観光産業そのものが経済や雇用に大きな影響を与えることになったことから、観光分野の防災の重要性が国連においても認識されるに至った。そのような経緯から、2011年には、国連防災戦略事務局(UNISDR)の中に、「災害リスク低減に係わる民間分野パートナーシップ」という組織が設置された。2015年からは、政府関係者以外に民間企業や非営利・非政府団体などの参加も認められるようになっている。

国連防災戦略事務局は、災害時の観光客の安全確保や、危機後の観光産業の早期回復を可能とする仕組みが強化することが地域社会・経済全体の持続的な発展に寄与するとの考えのもと、1)観光の主要課題として観光産業や観光行政自体が減災・防災に取り組むことを促進すること、2)観光分野が国・地域の防災行政との連携を強め、【減災>危機対応>回復】という防災・危機管理計画や実施体制の中に、観光をしっかり位置付けることを提言している。

2.観光産業の脆弱性

さて、ダーク・グラッサー氏によれば、観光という産業は災害・危機のリスクが最も集中する産業である。観光は様々な要素から成り立っている、この世で最も複雑な「商品」であり、機器・災害に対して極めて脆弱だから、である。観光産業を、災害や危機から完全に守ることは事実上不可能であり、可能なのはただ、起こってしまった後にできるだけスマートに対処することだけ、である。観光客にとって、観光とは、自宅の中から始まり、自宅に戻ってくることで終わる、全てのプロセスであるといえる。したがって、観光危機管理とは、その全てのプロセスに関わる災害・危機に対処すること、といえよう。そしてそれゆえに、観光危機管理には、様々なステークホルダーを含む、国家的な対策が必要となる。

たとえばオーストラリアでは、国家的な総合防災・危機管理計画の中に、観光が位置付けられており、オーストラリアを訪れる外国人に対する危機管理のみならず、海外旅行中のオーストラリア人に対して災害・危機の情報を提供し、万一の場合に迅速に必要な保護や支援を提供する体制ができている、という。また、「災害大国」キューバで起こりうる観光危機は、洪水、サイクロン、山火事、自身、感染症など多様であるが、人身保護を中心とした徹底した対策があることで危機の影響を低減しているため、観光が影響を受けても人的被害は出さない体制ができている。

近年の地球温暖化は、観光危機のリスクをいやおうなしに高めており、それゆえ、観光依存度の高い国々では、観光分野への災害リスクが高まっていることについての意識を、持つ必要が高まっているといえる。

3.観光危機管理への注目

災害への対処が、観光地としての評価を下げ、経済に壊滅的な打撃を受けることもある。

観光を主たる産業とする沖縄では、1972年に56万人であった観光客数が2014年には706万人へと増加。観光は県内総生産・県内雇用の12%を生みだしている。その一方、沖縄はまた、台風常襲地域であり、観光施設への被害や交通被害がしばしば発生するだけでなく、県外で発生した事件や災害によって観光産業が大きな損失を被ることもある。観光客の減少は観光産業の悪化をもたらし、そこで働く従業員だけでなく、ホテル等に食材を供給する農林水産業や流通業にまで影響が及ぶ。21世紀になり、外国人観光客が増加するとともに様々な災害や危機が知られるようになると、観光地としてのブランドや価値の構成要素として、「安全・安心」が重視されるようになった。「青い海・青い空」をシンボルとした豊かな観光資源だけで、観光地としての地位を保つことはできなくなったということである。

しかし逆に、災害への対処が適切であれば、観光地としての評価を上げ、新たな可能性を拓くこともある。

たとえば2003年、中国でSARSが発生した時には、香港でも発症例が認められた。その際、香港特別行政区政府と香港政府官公庁はすぐさま香港全土で危機管理の体制をとり、SARS感染者を香港から出させないようにするとともに、SARSが発生したホテルを閉鎖するなどの対応を行なった。さらに、WTOの渡航延期勧告が解除された4日後、香港貿易経済部と香港政府観光局は、総額150億円の予算でリカバリーキャンペーンを実施。こうした矢継ぎ早な危機後の対応が功を奏し、香港への観光客は早期に回復したのである。

また、2004年にインドネシア・スマトラ島沖で巨大地震が発生した際には、観光客も多人数被災したが、プーケット島にある三つの民間病院では負傷した外国人を積極的に受け入れ、廊下やロビーも活用して最大限の医療ケアを行なった。この事実が欧州で報道された結果、プーケット島は「津波が来ても安全なリゾート」「高いレベルのサービスとホスピタリティのある観光地」として評価を高め、その後、医療サービスを目的にプーケット島を訪れる外国人も増加したのであった。

さて、沖縄県は観光危機管理の観点から、県での発生が想定される観光危機として、次のようなものを挙げている。
(1)自然災害・危機、
(2)人的災害・危機、
(3)健康危機、
(4)環境危機、
(5)県外で発生する以外・危機

大規模災害が起こる頻度と、観光産業が県内産業に占める大きさが、沖縄県をして、あらゆる事態を想定し、それに対して縦割り組織やセクタの壁を越えた対応ができるようにしておくことが、観光危機管理にとって重要だという認識をもたらし、それが日本初の観光危機管理計画の策定につながったのである。

4.観光危機管理のスコープ

災害対策といえば、発災直後だけが注目されるが、それだけでは全く不十分である。東日本大震災の後には、企業活動に関するBCPすなわち「事業の業務の中断・阻害に対応し、再開し、あらかじめ定められたレベルの回復するように組織を導く文書化された手順」が重要であることが指摘されたが、観光危機管理についてはBCPではなくBCM、すなわち、「組織への潜在的な脅威、およびそれが顕在化した場合に引き起こされる可能性がある事業活動への影響を特定し、主要なステークホルダーの利益、組織の評判、ブランド、および価値創造の活動を保護する効果的な対応のための能力を備え、組織のレジリエンスを構築するための包括的なマネジメントプロセス」という考え方が必要とされる。

BCMは、組織にとって重要な事業の継続能力を維持・改善させるための活動であって、そこにはBCPだけでなく、合わせて導入されるツールやそれらを実際に使う人員のスキルまでが含まれる。その意味でBCMは、ソフト(人的側面)とハード(文書やツール)のバランスをとりながら事業の継続能力を高めて行くための、分析や文書化、教育や演習などといった活動全般を指す。観光危機対応では、もっぱら域内で生じた被災者・観光客や施設を対象に比較的短期間の応急対応を実施するのに対し、観光版BCMの場合、早い段階から外部市場に働きかけ、危機が収束に向かったのちも評判・イメージや需要の回復のため、一定期間にわたって活動を続ける必要がある。

また、①地震や風水害のため交通機関が不通になり、沿岸観光地が打撃を受ける事態等が想定され、②被災地から遠く隔たっていても、地名等が似通っているため、評判が低下するケースもあることから、非被災地であっても、観光BCMが必要な場合がある。

したがって、危機発生後のBCMだけを見ても、
1.マーケティング・コミュニケーション (危機管理直後の情報発信/風評のコントロール/顧客との危機コミュニケーション/従業員・職員とのコミュニケーション)
2.セールスプロモーション
3.コミュニティ支援(中小企業に対する資金的支援/技術面での支援)
4.持続的な再開発
5.将来に向けたリスク管理
を、考えておく必要がある。

さて、高松正人は、観光危機管理計画の作成に当たって、平常時・危機発生前・危機発生時・危機後のすべてに渡って配慮が必要とし、観光危機管理の四つのポイントを次のような図にまとめている。

高松によれば、観光危機管理計画は「平常時における減災対策Reduction」「危機発生前における危機対応への準備Readiness」「危機発生時における危機への対応Response」「危機後における危機からの回復Recovery」の四つのタイミングすべてを視野に入れて策定される必要がある。

高松はそれぞれの項目についての具体的な内容を列記した上で、時系列的にわかりやすくまとめ直している。

ただし、ここで注意しなければならないのは、観光という産業の持つ性格上、ただ単に減災といっても一つの部署だけで事業は成立せず、複数の部署・セクターの協働が必要になるということであり、発災直後の対応に当たっては、その連携を限られた時間の中で機能させる必要があるということである。

次回は、そうした観光危機管理計画をめぐる困難について考察してみることにしたい。


天野徹
天野徹

明星大学人文学部人間社会学科教授。
専門は、情報社会学・社会統計学・都市社会学。東京都立大学大学院博士課程単位取得中退。社会学をベースに、文理融合・問題解決の知のあり方を追求してきた。(財)あしたの日本を作る協会の委員として、webサーバーを立て、「地域づくり運動情報データベース」を構築・公開。社会調査の領域に、ハイパーテキストを活用したプレゼンテーション作りや、3Dモデリングによる景観シミュレーションを導入。東日本大震災の後、自ら提唱したコミュニティ・ネットワークの理論をもとに、災害レジリエンスを備えた社会システムと、それを実現するための情報システムを構想。PHP、Java Script、CSSなどを用いて、義援物資マッチングシステムと避難所情報収集システムを構築し、サービスを公開。現在は、インバウンド等の災害対策として、AIを活用した被災者・帰宅困難者誘導システムの構築・一時滞在施設確保のためのビジネスモデルの構築と社会実装に取り組んでいる。

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