【若者たちが創る、“異彩のキャリア”】 第6回:すべてが今につながっている/木村 壮馬(非大卒人材vol.03)前編


若い世代が元気ないと言われますが本当にそうでしょうか?日本の未来は暗いから、若者の未来も暗い?
いえいえ、日本には異彩を放つキャリアを歩みだしている若い世代が生まれています。その中でも、キラリと光る人たち。こうした人たちのキャリアストーリーを独占してしまうのは、もったいない。私たちは、そうしたキラリと光る若い世代のストーリーを発信していきます。

聞き手・書き手:一般社団法人スクールトゥワーク 代表理事 古屋星斗

今回は、長野県出身の19歳、木村壮馬さんにお話を伺います。野球一筋だった高校時代、地元の大手包装資材メーカーへの就職を経て、現在は東京でコンサルタントとしてのキャリアを歩んでいます。どんな選択が木村さんのキャリアをつくってきたのでしょうか。

部活漬けの高校時代

古屋:
木村さんはまだ19歳ということで飲みの席でお酒が飲めないのに、バリバリ仕事をしているということでとても違和感があります(笑)。24歳まで学校に行っていた私からすると「凄い」の一言ですし、長野県から上京してひとりで働いているというのもすごいのですが、学生時代はどんな学生さんでしたか?

木村:
中学、高校では部活漬けでした。今思えば、結構部活時代の経験がいきています。そのおかげもあって、まわりの人に感謝して精一杯がんばろうとし続ける人間形成がされてきたのかもしれません。野球部を通じて培われたそういった心のためか、前職を辞める際にも親に対して申し訳ない、という気持ちがありました。転職=マイナスというか。中途半端な人間になっているんじゃないかなと。ですが、今のこの働き方だと人間的にも成長できない、そういった気持ちは当時はありましたね。

古屋:
野球部の時の経験が進路選択をする際にも活きているのですね。部活は楽しかったですか?

木村:
はい。部活をやっていた時は自分に自信がありました。根拠がない自信でしたが(笑)。なんというか、思考力は負けない。能動的に考えるという力、常に求め続けていないとポジションが得られませんので。僕の通っていた商業高校では野球部は部員が100人ほどいました。高校入学して真っ先に野球部に入りましたが、入った瞬間に分かったのは、僕の中学時代の野球のレベルは低かった、ということ。高校では3軍レベルでした。その高校では、なかには一打席もバッターボックスに立てず退部する人もいる。でも、僕はここで諦めてやめたらダメだろうと思って必死でした。
でも結局、2軍止まりでした。ただ、当時の部活の仲間は向上心が強く、生きる糧になっていると思います。また、母子家庭だったので学費とかも出してくれるなか、少なくとも野球くらいは最後まで頑張らないといけないという気持ちもありました。
野球についてもう少しだけお話をすると、僕の実力自体は全くかなう気はしませんでした。高校1年生の時には、自分の学年は44人も集まりました。地元のオールスター軍団。そんななかでレギュラーを取れるわけもありませんでしたが、野球部で学んだのは人間の基礎的な部分だったと思います。忍耐力、社会貢献、周りとどうつきあっていくのかなど学んだと思います。

古屋:
日本の部活動は国際的にみても学校単位でやっていることに特徴があり、また、多くの子どもが取り組んでいるということでとても大事な教育の場になっていると言われていますね。そんな野球部で思い出深いことはありますか?

木村:
監督のことはいまだにリスペクトしています。理不尽でもあったけど、未だに覚えているのは、その監督は精神論が好きな方で、「眉毛は人格、瞳は力」という言葉をよく言っていました。眉毛を細くする高校生が多いので、そうするなということ。細くすると試合に出さないぞということでもありましたが、結局眉毛が細くても実力があれば試合には出し続けていたので理不尽でした(笑)。でも未だに覚えていられる名言のような言葉をたくさん聞きましたし、意志の力を感じました。

古屋:
木村さんの原点となった野球部での経験を経て、18歳で就職を決めますね。大手包装資材メーカーに決めたとのことですが、それはなぜでしたか?

限られた選択肢のなかでつかんだ、ファーストキャリア

木村:
大手包装資材メーカーに決めたのは、選択肢が限られていたということが大きいと思います。「給料」、「休みの多さ」、などの条件重視で選びました。まず、校内選考があって、人気がある企業だと成績順になってしまいます。成績で落ちて面接も受けられないのは避けたかったので、自分の成績と条件との妥協点で選びました。
そうしたら、第一希望で書いたのが自分しかいなくて、運よく学校推薦を得ることができました。その前職の会社も毎年自分の高校からとってくれていたらしく、一次、二次面接を普通にやって、面接では自分のことを話していたら普通に入れました。
ちなみに、校内選考の際には第三希望まで出しましたが、全て工場勤務の仕事で出しました。事務職にいきたいなとも思っていましたが、男の事務職の求人がそもそも少ないんです。給料も基本給13万円とか14万円。事務職は楽そうで人気があるのですが選択肢がほとんどないんですね。結局、第二希望が食品製造、第三希望が組立・溶接の工場。この3つを選ぶ際には、ハローワークにある200~300社くらいの高卒向けの求人票から選びました。この求人票は全部紙なんです。2つのファイルに入っていて、ひとつは県のハローワークがまとめている求人票。もうひとつは学校が企業から推薦枠を貰っている求人票。先生が、推薦枠が実際にあるかどうかを教えてくれました。
進路指導の先生は若い先生でしたが、色々なことを教えてくれました。自分が一番覚えているのは、「自分が一番重要だと思うことを軸にして、どれを捨てていくか」が進路選択だということ。何を捨てるか、なんて考えたことが無かったので逆に新鮮で今でも覚えています。
大手包装資材メーカーに入った時は、非日常的だったので楽しかったです。
研修期間が終わって実際に製造職で入ると、まず工場が40度近くになるのでこれがきつかったです。正直、これは仕事を続けていくのは難しいなと思いました。あと、会社の雰囲気が嫌でした。人は本当にいいのですが。働いている人の年齢層が完全に二極化していて、40代の中途社員の方々と高卒新卒から26歳までの若手でした。この中間が全くいないんです。何でも理由を聞いたら、全国の工場でも離職率が最も高い工場だからとのこと。人間関係にはとても恵まれたものの、アナログな労働環境で、肉体的につらい面もありましたね。

 

「若者たちが創る、“異彩のキャリア”」連載シリーズ

第1回 「人生を変える授業、はじめます」
第2回 「自分で考え自分で選ぶ/奥間 蓮(非大卒人材vol.01)前編」
第3回 「自分で考え自分で選ぶ/奥間 蓮(非大卒人材vol.01)後編」
第4回 「何にだってなれる/渡辺 玲央(非大卒人材vol.02)前編」
第5回「何にだってなれる/渡辺 玲央(非大卒人材vol.02)後編」
第6回「すべてが今につながっている/木村 壮馬(非大卒人材vol.03)前編」
第7回「すべてが今につながっている/木村壮馬(非大卒人材vol.03)後編」


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一般社団法人スクール・トゥ・ワーク(代表者:代表理事 古屋星斗)
学生及び非大卒人材に対するキャリア教育事業等を展開しています。キャリアを選択する力の育成を通じて、未来を生きる若者全てが安心・納得して働き、その意欲や能力を十分に発揮できる社会の実現を目指しています。

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