【若者たちが創る、“異彩のキャリア”】 第7回:すべてが今につながっている/木村 壮馬(非大卒人材vol.03)後編


若い世代が元気ないと言われますが本当にそうでしょうか?日本の未来は暗いから、若者の未来も暗い?
いえいえ、日本には異彩を放つキャリアを歩みだしている若い世代が生まれています。その中でも、キラリと光る人たち。こうした人たちのキャリアストーリーを独占してしまうのは、もったいない。私たちは、そうしたキラリと光る若い世代のストーリーを発信していきます。

前回はこちら⇒第6回 すべてが今につながっている/木村 壮馬(非大卒人材vol.03)前編

聞き手・書き手:一般社団法人スクールトゥワーク 代表理事 古屋星斗

3年後の自分が想像できず、1年弱で退職

古屋:
最初の仕事や最初の上司はその後の職業人生に大きな影響を与えると言われます。これは勉強になった、良かった、といったことはありましたか?

木村:
良かったことは全くありません(笑)。給料がいいといってもいっぱい残業して浮き出た金額なだけで、そこで自慢してもしょうもないなと。もっと稼ぐなら違う商売の方がいいなとも思いました。やめるきっかけになったのは、3年ほどしたら部署異動を願い出ようと自分のなかで将来のキャリアを考えていたんですが、よくよく考えたら3年もこの仕事を続ける価値はないなと思ったんですね。3年間この仕事を続ける自分が想像できなくて。
そのころ、12月頃でしたね。遊びの用事で東京にいった時、高校時代の友達が自分なりの“選択肢”を見つけていたんです。これがとてもキラキラしてみえました。今の工場で働き続けてもその工場で働くスキルは上がるが、社会で生きていくスキルは上がらないなと思ったんです。その友達は、同じ高校出身で就職希望だったのですが、ハローワークの求人票からは選ばず、「自分はこれがやりたい」ということを言い続け、現在は東京のベンチャー企業でやりたかったことを仕事にしています。同じ高校で就職した友人で唯一学校経由で就職せず、自分で就職先を決めた人間です。
そいつとその時に会った際に、ハッシャダイのインターンのことを聞きました。この時にインターンの話を聞いていなかったら今僕は東京にいなかったと思います。その時の僕自身は、もっと他に可能性があるだろうと思っていました。具体的には、別の地元企業への転職を考えていました。でも東京でのインターンの話を聞いて、転職して同じことを繰り返すことも嫌だなと思い、環境を変えて、周りの人を変えれば自分も良い方向にいけるんじゃないかなと。
自分の中では決まったものの、親からはめちゃくちゃ反対されました。「何も考えてこなかったのに、今仕事を辞める意味が分からない」と言われましたね。
結局、親は説得できませんでした。仕事を黙って辞めて、インターンの参加を申し込んで、そして事後報告です。それでも、「言っていることが全然伝わってこない」と言われましたが、最終的には「好きにやればいい」と言って送りだしてくれました。やはり、親としては一年もたたずに仕事を辞めることに抵抗があったのだと思います。

古屋:
誰にも相談せず、自分で退職を決めて自分で手続きもして。ひなの巣立ちのような気分で、親御さんは最後送り出してくれたのかもしれませんね。東京に来てどうでしたか?それとこれは皆さんに聞いているのですが(笑)、東京にきた最初の夜ごはんを覚えていますか?

木村:
ハッシャダイのインターンに参加したんですが、当時YouTubeの動画の宣伝を通して、高校卒業後すぐに来た同期が多くいました。僕は社会人経験があったためか、同期の仕事に対する考え方がちょっとおかしいんじゃないかなと思ったんです。できなくても謝れない、改善してこないという。でも少し考えると、自分ももしかすると程度の問題で他の先輩方から見るとそうなのかもと思ったりもしました。

野球部のポジション争いも、工場の仕事も。無駄なことはひとつもなかった

古屋:
もしかすると、初職が製造業だったことが影響しているのかもですね。日本の製造業の現場は国際的な水準にありますが、現場における改善活動やPDCAサイクルを回して生産性を高めるといった文化を1年弱の間に身に着けていたのかもしれませんね。先ほど「良かったことはなにもない」とおっしゃっていましたが(笑)、お話の端々からはむしろ製造現場で働いていた影響を感じます。

木村:
そうかもしれません。全然そんな感触はなかったのですが、感覚的に体得していたのかもしれませんね。だとすると、無駄ではなかったのかな。
あと、最初の夜ごはんは、東京駅の地下のラーメン横丁でラーメンを食べました。味は全然おぼえていません。東京はどこに入っても美味しいですよね。ラーメンは長野だと新規開拓は失敗することが多かったので。
インターンのプログラムは、訪問販売営業でしたが自分はとても売れました。3か月間で最高で月30件は売れました。そのときに自分はPDCAをまわすのは得意だなと思いました。客観的にみて、自分のやり方を改善していく。さらに、その後3か月は電話営業をしました。こっちの成果は微妙でした。たぶん理由は本気度が全然違ったんだと思います。
実は、東京へ来る前に車で事故を起こしていて、70万くらい借金を背負ってしまいました。東京に来た時はそんなこんなで全くお金がなくて、「一日一食豆腐」生活だったんです。栄養価と値段で選んだら豆腐です。だから、訪問販売が売れなかったら豆腐しか食べられなくて、もしかすると豆腐も食べられなくて・・・。
母子家庭だったし飛び出て来ちゃっているので実家の援助も当然ありません。“飢え”の恐怖と戦いながら飛び込みで営業していたのは東京広しといえど僕だけだったと思います。だから売れたんですね。訪問販売である程度稼げて借金を返せたあとはやる気がなくなったので電話営業はダメだったんだと思います。

古屋:
豆腐生活から脱出できて本当に良かったですね。木村さんは自分を客観的に見て得意不得意を把握して、得意を伸ばすためにPDCAサイクルをまわすことが上手なのかもしれませんね。そういう意味では、野球部時代のポジション争いやファーストキャリアの工場での経験が活きているのかもしれません。

木村:
そうかもしれません。無駄なことは何もなかったのかもしれませんね。これまで出会った全ての人が今の自分を作っていますね。そしてまた、素晴らしい出会いがあって、この10月からはコンサルタントとして働いています。1年前の自分からは想像もつかないですね。
今後の目標は、中卒・高卒の就職者に向けてサービスつくっていきたいと思っているんです。やっぱり色々な苦労があるので。そしてもう一つ。将来起業したいという仲間がたくさんいるので、今の会社で学んだコンサルティングを活かして、ゼロスタートの企業へのサポートをしていきたいと思っています。

古屋:
過去の経験が今に繋がって、今の仕事の延長線に未来の目標があって。とても素敵ですね。応援しています!

 

「若者たちが創る、“異彩のキャリア”」連載シリーズ

第1回 「人生を変える授業、はじめます」
第2回 「自分で考え自分で選ぶ/奥間 蓮(非大卒人材vol.01)前編」
第3回 「自分で考え自分で選ぶ/奥間 蓮(非大卒人材vol.01)後編」
第4回 「何にだってなれる/渡辺 玲央(非大卒人材vol.02)前編」
第5回「何にだってなれる/渡辺 玲央(非大卒人材vol.02)後編」
第6回「すべてが今につながっている/木村 壮馬(非大卒人材vol.03)前編」
第7回「すべてが今につながっている/木村壮馬(非大卒人材vol.03)後編」


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一般社団法人スクール・トゥ・ワーク(代表者:代表理事 古屋星斗)
学生及び非大卒人材に対するキャリア教育事業等を展開しています。キャリアを選択する力の育成を通じて、未来を生きる若者全てが安心・納得して働き、その意欲や能力を十分に発揮できる社会の実現を目指しています。

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