カーナビが示す大通りよりも、自分で見つけた細い道を行きたい 前編


現在、東京電力の人材企画部門で活躍している佐藤彰さん。大手電力会社という”お堅い企業”に所属されていますが、実はいくつもの社会人コミュニティを創設し、社外にも幅広いネットワークを持つ人材でもあります。さてそんな佐藤さんは高校卒業後、東京電力に入りました。どんなキャリアを歩んできたのでしょうか。なぜ安定した企業を飛び出て、活動しようと思ったのでしょうか。今回はインタビュー前編になります。

古屋(聞き手、当団体代表理事):
佐藤さんは新卒から東電にいらっしゃいますが、これまでいろいろな仕事をなさったと聞いております。まずは入社前のお話を聞きかせてください。

佐藤彰さん(以下、敬称略):
私は新潟の商業高校出身です。商業高校を選んだのは、「学ぶための学び」が嫌いで、普通高校で「受験のための勉強」で5科目の勉強をするのに努力することに意義を感じられず、実践的なスキルを得たいと思ったからです。情報経理科で成績は決してトップクラスではなく40人中10~14位くらい。成績は極端で、好きな簿記、数学、歴史などはトップクラス。でも国語とか地理は勉強する意味がわからず赤点目前の時もあったくらい。大学進学しなかったのも、その時学びたいと思うことがなかったからですね。だから就職を選択した。高校の就職活動では、事務職の求人票って15から20枚くらいしかない。その中で一番条件がいい東京電力を選択したという薄い動機ですね(笑)。

古屋:
実際社会で役に立つ勉強がしたい、という思いが強かったのかもしれないですね。「やるなら意味のあることを」という気持ちはなぜ子どものころから強かったのでしょうね。

佐藤:
いま考えると、家庭環境が大きいんだと思います。母親の影響かも。うちの兄弟はみな、小学校低学年で家出を試みるんです(笑)。母親は怒ると車で見知らぬ土地に置いていかれたりとかするんですね。そういう困難にぶち当たっていると、親に頼っていたら生きていけないんだ、と確信してしまう。依存ではいけない、自分で生きる、いかに自立するかを考える。だから家出を試みるんです(笑)。この時から自分に対しては自分が責任をとるということを意識していたような気がします。そうすると「学ぶために学ぶ」といったそれ自体が目的化された意義のないことは前からきらいなのかもしれません。

古屋:
そんな高校時代に、佐藤さんが力を入れたことはなんですか?

佐藤:
テニス部をつくったことですね。テニスがやりたかったんですが部活がなかったんです。ですから最初3人から初めて。最終的には20人以上になりました。もうひとつは、商業高校だったこともあり、授業のペースを超えてワンランク上の資格をとることです。高3になってすぐに日商簿記2級、初級システムアドミニストレータを取りました。


古屋:
当時から行動的だったんですね。そんな高校時代から、社会人、入社してすぐはどのようなお仕事でしたか?

佐藤:
柏崎の事務系採用は電気事業の管内のお客様対応をする。私は群馬で2年3か月、窓口対応をしていました。電気事業管内の仕事は期間が限られていたので、2年経過した後は、貴重な管内の仕事をもっと広く経験したいと思い、週4日窓口を密度上げて一人の対応量増やすので、週1日は現場の料金収納や各種サービス、電柱作業等もさせてくれと上司を説得し、金曜は現場作業もさせてもらっていました。

古屋:
今風の言葉で言えば、自分で企画して部署内副業をされていたんですね。

佐藤:
かっこよく言えばそうかもですね。業務改善提案で表彰も頂きました。提案内容自体は細かいことの積み重ねです。窓口の机って、机の上にクリアの透明なシートをかぶせてあるけど、これが黄ばんでいてどんないいパンフレットも昭和バージョンになっちゃう(笑)。たったこのシートを変えるだけで一気に自分もお客様も気分がよくなるなぁ、とか(笑)。本当に細かいことです。そういった小さな提案をたくさんしていました。窓口対応は、目の前のお客様に精神誠意対応することをずっと考えていました。どうすれば5分10分で満足して頂けるか、そう考える日々を送ると、窓口の至らない部分が見えてきたりするんですね。その時は、毎朝少し早く来て、必ずお客様出入口から店内に入り、人はどういった視線でどこに目が向くのか、目に見える風景からどんな感じがするのか、そしてパンフレットやポスターは目につく角度・高さにあるか。それに合わせてパンフレットの位置を変えたりというのを毎日シミュレートしたりしました。お客様が実際に行動する動線・向きに自分もあわせてやっていましたね。そのなかで、段々大きなところも気がつき出して・・・ということで表彰されて。最終的に、その取組のなかで当時の業務のフロー表の自分でつくって、プロセス改善などもしていた。特に誰に言われたわけでもないのですが(笑)。

古屋:
すごいですね。顧客目線を徹底して想像する、なぜそのようなことをしようと思ったのでしょうか。

佐藤:
高校でガソリンスタンドでバイトしていたころの影響かもしれません。コンビニ店員でも事務的な対応の人もいれば、素晴らしい対応の人もいるじゃないですか。同じバイトをして、同じ時給で時間を拘束されるんだから、最高のサービスを提供できた方が学びが多いし楽しいしで、得じゃないですか。なので、自分のバイト先のガソリンスタンドでもどうせなら楽しい対応をしたいと思っていて。ドライバーの目線はどこにいくのか、どんな音量・トーンなら気持ちがいいか等を常に意識していました。

古屋:
ジョブクラフティング、という言葉があります。仕事を楽しい、やりがいのある方向に作り変えてしまう、という概念なんですが佐藤さんの姿勢はまさにそれですね。

佐藤:
そんな言葉があるんですね、知りませんでした。21歳になった頃、キャリアパスの一環として、柏崎の総務部総務に異動になりました。世界がガラッとかわりまして。わからないことだらけ。しかも、総務のなかでも特殊なチームで、億円単位の工事の設計・交渉・発注・監理・会計処理など、これって総務か!?と感じるような技術的な仕事をしていました。いきなり工事を設計せよとか言われてもわかるわけないじゃないですか(笑)。だから、この時は素直にわからないと言って、ひたすら他部門の方に聞いて学びました。この時の上司は厳しかったですね。でも今の自分があるのもその上司のおかけで心から感謝しています。20歳で群馬で表彰され、その時はまぁ生意気な面もあって・・・でも見事に鼻っ柱をへし折ってくれました(笑)。上司の問いはいつも本質的で言い訳の余地がない。「前例がこうだった」とか「先輩がこう言っていた」と言うと、「お前はどう考えているんだ、前例なんか聞いていない」とど真ん中を槍で突き刺され、こう言われると逃げ場がない。当時は夢の中でも上司に怒られていましたね・・・。でも仕事で、自分がやるという意味について真剣に向き合うきっかけをくれました。そうした中で中越沖地震が発生します。私は設備管理も担当していたので、復旧が発電所として急務であらゆる業者を集め、発電所の冷却水を確保するのにも断水をいかに1時間でも早く復旧するかを昼夜問わず走りながら対応していく、もう緊急事態ですから必死です。前例なんか無視でとにかくなんとかしないと、と。その後、免震重要棟建設プロジェクトに関わりまして、その時23歳でしたね。計画を主導する立場でした。プロジェクト・マネージャー的に調整する立場です。こうした経験ができたのも、当時所属していたチームの先輩やリーダーに育てていただいたからこそ。今でも尊敬しています。

 

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カーナビが示す大通りよりも、自分で見つけた細い道を行きたい 中編
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一般社団法人スクール・トゥ・ワーク(代表者:代表理事 古屋星斗)
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